| 6. 目が覚めた。 目覚ましの針は、7時少し前を指している。秒針の動く音が、やけに耳についていた。 「・・・・・・夢・・・か」 カレンダーは5日、金曜日を指していた。今週は第1週なので、明日も午前だけではあるが、 学校となっていた。 背伸びをして、眠っている頭を左右に大きく振る。 最近見ている夢のせいで、鬱々としたいつもの気分が、徐々に薄れつつあった。だから、朝の 目覚めは秋子にとって、以前と比べれば少しは快適なものに感じられる。 目が覚めた瞬間に感じる、夢と現実との間のまどろみ。・・・現実に頭の中が傾いていくにつ れて、そのまどろみは苦痛へと変わっていく。また今日も、現実を生きていかなければならな いという、逃避欲と忍耐のジレンマ。いつしかその間の葛藤が、彼女にとって当たり前のこと になっていて、いつの間にか、彼女は、意識しないうちにその分厚い灰色の霧を自身の内に 溜め込んで、本心を閉ざし続けていた。 ・・・・・・それが結局、あの事故を引き起こしたのかもしれない。 ため息を吐いてベッドの上でぼんやりしていると、それを打ち破るように目覚ましが鳴った。 起き上がり、それを止めると今度は、机の上で携帯電話の着メロが小さく鳴った。・・・・・・ どうやらメールを受信したようだった。 『アッコ、おはよー 朝からごめんね。今日って、数学の宿題出てたっけ?プリントが見つからないの(ToT 休み 時間に見せてー それから、今日もマック?』 お京もしょうがないなぁと、小さく笑いながら秋子は返信のメールを打ち始める。 そんな京子との日々のやり取りが、いつも秋子の心を和ませていた。 Ψ Ψ Ψ その時は、刻々と迫っていた。 明日の・・・・・・というよりも、もう、今日となってしまったが・・・・・・24時に、決行される。 相方とは半日かけて、裏の経路から入手した見取り図による内々の打ち合わせをした。 あと他にすべきことと言えば・・・・・・予備で使う武器の手入れくらいだろうか。 いつもはユゥアが座るカウンターの反対側・・・窓側の席にいるオルフは、腰のホルスターか ら護身用に身に着けている小型の銃を取り出し、カウンターに置いた。それは普通の銃より も、おおよそ実用には向いていない外見である。 銃身は平坦で色は銀、全体にアラベスク模様の装飾が施されており、弾倉がない。目立 った仕掛けは、持ち手の部分に引き金が付いていることくらいである。・・・・・・無論、普通 の銃ではない。 この銃の弾は、”電気”であった。狙いを定めた部位に空気中の静電気を集中させ、解き 放つ。的を外せば大したダメージにはならないが、心臓部分や、瞼のように皮膚感覚の鋭敏 な部分を狙えば、確実に足を敵の足を止めることができるのだ。 オルフは、照準やバッテリー残量の確認から取り掛かかることにした。引き金をゆるく引くこ とでレーザーによる照準設定機能が入るのだが、それが合っていなければこの銃の効力は 半減する。眼力で相手の視線を捕らえることに長けたオルフでなければ、容易に扱えない代 物だった。 銃の照準を合わせるために、客のいない酒場の奥に向けて、銃をオルフはすっと構える。 ・・・・・・そこに、リンが立っていた。 「り・・・リンさん?」 大切なリンの気配に気がつかないほど、自分は銃の手入れに夢中だったのかと、オルフは 驚く。慌てて銃を下ろして、カウンターに置いた。 ・・・・・・それが、同時だった。 彼女の方を振り返ったオルフと、その彼にリンが抱きついたのは。 「・・・・・・師匠」 「どうしましたか?・・・・・・眠れませんか?」 静かなオルフの問いかけに、リンは無言のまま首を横に振った。 「リンを・・・放さないで・・・・・・師匠」 「いったいどうしたんですか・・・リンさんらしくない。・・・何があったんです?」 甘えてくることの多いリンだったが、今のように切実な想いをそのまま彼に向けてくるのは、 これが初めてだった。 彼女はじっと、オルフにしがみ付いたままだ。そのせいで、彼女が小さく震えているのが分 かった。・・・まるで、小動物が、親に助けを求めるかのように。 「・・・・・・悪い夢でも、見たのですか?」 オルフは、宥めるようにそうリンに訊いた。そのまましばらくリンは黙っていたが、やがて顔 を上げて小さく言った。 「・・・うん、見たよ・・・・・・。いつも、ここに来る前に、夢、見るの」 そのまま押し黙って、リンは赤くなった双眸で、オルフの双眸を見つめる。・・・・・・深海にも 似た、安らぎの青の光を。 「・・・・・・どんな夢なのですか?それは・・・」 リンは視線を落として、しばらく黙っていた。どうやら、迷っているようであったが、話す決心 がついたのか、再び彼女は視線を元に戻した。 「大切な人が、目の前で白い光の中に飲まれていく夢・・・・・・。その人は、私のことを呼ん でくれるんだけど、でも、私・・・・・・」 そして彼女は、顔をオルフの方に埋めた。 「その人のこと・・・思い出せないの。大切な人なのに・・・・・・それで、目が覚めるの、いつ も。・・・・・・師匠、私、師匠の名前も、言えなくなっちゃうのかな・・・?」 「そんなことは、ないですよ」 「私・・・・・・今の私には、師匠が一番大切な人だから・・・・・・」 リンのその言葉に、オルフは、目を少し見開いた。 「だから・・・リンを放さないで、師匠・・・・・・」 しがみ付いたリンの肩を、しっかりとオルフは抱いた。虚空を見据える彼の視線には、明ら かに強い光が浮かんでいる。 「大丈夫・・・ですよ。必ず、放しませんから」 それは、約束ではなく、誓いだった。もう二度と、同じ過ちをしないと言う、彼の”彼女”に対 する。だが、同時に迷いもあった。 ―――美翠・・・。 リンの額に、己の唇を添える。 ―――私は、人を愛してもいいのだろうか。・・・いまだ、お前のことが忘れられないのに、 されど、お前の顔を思い出すこともできないというのに・・・・・・。 瞳に何か熱いものが溢れてきて、自然とにオルフはその双眸を閉ざした。 ―――私は何故、独りここに生き残ったのだろうか・・・。 Ш Ш Ш 人気のなくなった独房の中は暗く、じめじめとした湿気を含んでいる。こうして独りでいると、 ひんやりとした暗闇がそのまま肌に浸透してくるように思えた。 地下牢に連れて行かれて閉じ込められたディルティルスは、独り壁に持たれて明かりもない 殺風景な天井をただ見つめていた。・・・ヘラからの連絡があるまでの間、ここで待機することと なったのだ。 近代的な設備の城の下に、このような自然の岩肌むき出しの牢があるというのも滑稽な 話であったが、それは王であったディルティルスに、近代的な牢屋というイメージが作れな かったせいなのだから仕方がない。牢と言えば、やはり原始的なイメージが強い。 高い湿度のせいで、前髪が額から頬にかけて張り付いていた。目の前が時々曇ると思っ たら、それは自身の吐く息であった。 視線を下げれば、目の前には鉄格子が無表情に立ちふさがっている。・・・・・そもそも自分で 作り上げた牢、壊すことは容易いのだが、彼には脱獄しようがしまいが、正直なところどちら でもよかった。 再び視線を虚空に戻す。天井はどこまでも真っ暗で、ともすれば自分のいるところと天井と、 どちらが穴の中なのかわからなくなりそうであった。そういえば、この奇妙な感じを、前にも彼 は感じたことがあった。・・・・・・それは、彼女との出会いでもある。 |