| 5. 「・・・・・・ユゥアさん、さっきの、デルタさんのことだけど・・・」 「ん?」 カンバスを部屋に置きに行くつもりだったのか、カンバスを片手に席を立とうとしたユゥアに、 アキは声を掛けた。 「どうして、デルタさんは・・・その」 「なんで死のうとしたのか、か?」 「・・・・・・ええ」 長時間のデッサンのために凝り固まった筋肉をほぐすように、首を左右にひねりながら彼 は言う。 「さあな。俺もよくはわからない。何ていっても、アイツが話そうとしないからな」 ユゥアは苦笑を浮かべる。友として、何も出来ないことが辛いのかもしれない。 「・・・・・・なんか、私、似てるみたい・・・」 「・・・ん?誰にだ?」 「デルタさん・・・に」 ユゥアが片方の眉を上げてみせる。怪訝な表情をした。 「私も・・・・・・死にたかったから」 「スカの屋敷でか?」 彼女は首を横に振る。 「ううん、ここじゃなくて・・・・・・現実で」 「・・・何があったんだ?」 ユゥアが、再び席に戻る。 「自分が生きてることが、辛くて。・・・・・・私には、兄がいるの。兄さんは、私と違ってと ても優秀で、母にも、父にも・・・皆に期待されてた。でも、私は違う」 言葉を切って、秋子はウーロン茶を口に含んだ。冷たさに、頭の中がキリッと冴える。 「私は、何をやるにも遅いし、成績もいまいち。・・・どうして、私は生きてるんだろうって、 思った。私なんかいなくても、兄一人で父と母の期待を一身に背負って生きてくれる。・・・私 は、ただのおまけなの」 ユゥアは秋子の告白を、黙って聞いている。口を出さないのは、先を促す意味なのだろう。 「そんな時よ。・・・私が、トラックに轢かれそうになったのは」 彼女の、グラスを握る手が一瞬揺れた。その時の光景を、思い出したからかもしれない。 「轢かれてしまってもいいと思った。だけど、歩いてた私の腕を、強く引いた人がいた。・・・・・・そ れが、兄さんだった。」 あの時の光景が、再び秋子の脳裏に甦った。 トラックにはねられそうになった秋子の右手を引いて、その反動で自らその前に飛び出る 形になった兄の姿、そして―― そのまま、トラックのタイヤの陰に消えた、兄の姿。 「兄さんは、私の代わりにトラックに轢かれて・・・外傷は、奇跡的に少なかったんだけど、 植物状態になった。・・・3年前から、今も、ずっと・・・」 「アキは、ずっと自分を責めているのか。・・・その、兄さんのことで」 「よく、わからないの」 ゆっくりと息を吸って、そして一気に彼女は思っていたことを吐き出した。 「・・・・・・3年前のあの時までは、自分が生きていることが辛かった。兄さんがいなければっ て思ったこともあったけど、それよりも自分がいなくなった方がよっぽどマシだろうと思ってた。 ・・・・・・でも、兄さんが交通事故に遭って入院してからは、どうしたらいいのかわからなくな った。父も母も、仲が悪くなって、話をあまりしなくなった。・・・・・・結局、やっぱり私がいけなく て、私が期待されることもないのよね」 最後の方は、本当に小さな声となっていた。秋子にとって、兄と言う存在は、余りにも大きな 壁だったのだろう。そのために、自身を見失いかけているのだ。 「いい、兄妹じゃないか」 「・・・・・・・・・え?」 予想もしていなかったユゥアの言葉に、アキは彼の方を振り向く。彼は続ける。 「最後まで、アキのことを、大切に思ってたんだな。・・・・・・アキがどうしようもないヤツなら、き っと兄さんは見放してただろうよ。アキ、お前はその兄さんにとって、間違いなく大切な家族だった はずだ」 ちょうどその時、マスターが夕食のトルティーヤをカウンターに運んできた。 「アキは、アキだ。この世に死んでいい命なんてねぇ。アキ、お前は俺たちにとって大切な仲間だ し、現実でだってお前は兄にとって大切な存在だ。・・・・・・変な風に考えるのは、これっきりにし ないか?」 チリソースに付けたトルティーヤを口に運びながら、ユゥアは笑う。 「お前も食べろよ。どうせ俺のツケだしな」 「・・・・・・ありがとう」 どうにかその言葉を胸の奥から搾り出して、秋子はトルティーヤに手を伸ばす。 「まあ、これくらいの飯ならいつでも奢ってやるよ」 勿論、アキのいったお礼の言葉が、トルティーヤに対するものではなかったことに、ユゥアは きっと気がついている。照れくさそうに言った彼の言葉に、アキは少し笑った。 ◇ ◇ ◇ 「デルタも、同じようなことを言っていたな」 ふと、しばらく無言でトルティーヤをつまんでいたユゥアが、そう小さく洩らした。アキは、無 言のままトルティーヤのチリソースの辛さと格闘している。・・・どうやら、彼女には聞こえな かったらしい。 ユゥアは、デルタの言葉を思い出していた。 『いや、・・・・・・私は、自分で終わらせようとした。私には、あそこにいることが苦痛だった。 帰ろうとすれば、元いた場所へ戻ることはできる。だが、私はそれを望んでいない』 デルタもまた、現実で死にたいと思っていたのだろうか。・・・彼女と同じように。 ―――デルタ、お前は、今どこにいる? 彼を、助けたい。・・・・・・これは、ヘラの願いを叶えるためではなく、ユゥア自身の願いだ。 何とかしてやりたい。・・・ヘラが、この世界を支配しているうちに。 ユゥアは、おそらくこれが最後になるであろう仕事に取り掛かることを、強く決意した。 * * * 再びバルバロイの街に号外が出たのは、次の日の昼間のことであった。 「号外ー!号外だよー!!」 配られたノートほどの大きさのベージュ色の紙には、7月5日付けの号外記事が書かれてい た。 『ラルカントス城に、白銀の怪盗からの予告状!!狙いはフェルディアとの併合阻止か!?』 見出しには、大きくこう書かれてある。 酒場での話題も、この話で持ちきりだ。 「白銀の怪盗!来ましたね〜っ!」 街で手に入れた号外を片手に、歓喜の声を上げて、リンはグラスのウーロン茶を飲み干した。 白銀の怪盗は、バルバロイの街では英雄的な存在だ。貴族から金品を回収し、街の人にばら 撒く。・・・・・・どこかの昔話で聞くような話だった。その話が、この夢の中でも生きている。現実 はそんな昔話の時代よりも遥かに豊かになっているが、人の心の奥底にある思いは、どの時 代もさして変わらないのかもしれない。 「今度はいったいいつです?」 「明日の夜24時、だってよ」 号外を見ずに、ユゥアは相棒に答える。・・・・・・その口元が、僅かに笑っていることに、アキは 勿論気がついてはいない。 「白銀の怪盗・・・って、あのスカッチャーの屋敷を襲撃した?」 「お、詳しいじゃねぇか」 アキの質問に、何故か嬉しそうに、ユゥアは言う。 リンが目を輝かせながらその後を付け足した。 「あのね、白銀の怪盗は私たちバルバロイの英雄なの!貴族の飼っているアルビノだって、 彼には敵わないんだからっ。リンも一度でいいから会ってみたいな〜」 熱のこもった瞳で、遠くを見ながら彼女は言う。その彼女を見てユゥアは何かを言いたかった ようだが、代わりにウーロン茶を飲んでどうにか堪えたらしい。 「それより、デルタはまだ戻ってないのか?」 号外から目を離してテーブルの端に置きながら、ユゥアは誰にともなく訊いた。 「いえ・・・。まだ、戻られてはいないようですね」 「しゃあねぇな・・・。今度ばかりはアイツの手も借りたかったんだが・・・・・・俺たちだけでなん とかするか、相棒」 「そうですね・・・・・・」 相棒であるオルフィウスの返事は、少し沈んだ響きを含んでいた。その彼に、リンが飛びつく。 「何の話?師匠〜」 オルフはにっこりと笑って、曖昧な返事を返す。 「7月5日24時・・・・・・か。少し余裕がないけど・・・・・・いいな、相棒?」 「私はいつでも大丈夫ですよ、ユゥアさん」 その言葉を聞くと、ユゥアは席を立った。 「ん・・・・・・OK。俺はちょっと、街に出てくるな」 「はい。・・・私は今日はずっとここにおりますので」 「わかった。アキとリンは、頼む」 そういい残して、彼は裏口の方から酒場を出て行ってしまった。リンとアキは顔を見合わせる。 「師匠・・・?何か・・・隠してない?」 「そんなことはないですよ。ただ・・・・・・時期が時期ですから・・・ね。フェルディアとラルカントス の間で一騒動起きそうですし、それに備えておく必要がありそうですから」 「それって・・・・・・戦争?」 アキの言葉に、オルフは首を横に振った。 「折角ですから、リンさんやアキさんも、一緒にいかがですか?」 どういうことなのかと、理解できない二人は首をかしげている。 「・・・騒動を、見に行ってみませんか?私たちと一緒に」 「師匠、それって・・・!」 「ラルカントス城へ行くの?」 微笑を浮かべながら、彼は無言でゆっくりと頷いた。白銀の怪盗が起こす騒ぎを、オルフとユ ゥアはどうやら見に行くようなのだ。リンが満面の笑みを浮かべながら、オルフを抱きしめた。 「行く行くー、リン、絶対行くから!アキも行くでしょ!」 「え・・・えと・・・」 「アキさんも、是非来てください、私たちと一緒に。・・・・・・一人にしておくのは、心配です」 オルフの言葉に、秋子は頷いた。・・・けれども、実際のところ、どうやってこの世界の明日の 夜に目覚めればいいのかが分からないため、彼女は内心困っていた。 「大丈夫、何かあってもリンがちゃんと戦えるから、任せて!」 得意げに槍をかざして見せる彼女に、隣の席のオルフは苦笑を洩らした。そして、彼もまた 席を立ち上がる。 「それじゃあ、私も少し準備をしないといけませんので、2階に行ってきますね」 「じゃあ私は・・・槍のお手入れでもしようかなっ。マスター、研磨剤入りのクロスちょ〜だいっ」 リンも席を立ち上がり、アキは一人テーブルに残った。・・・・・・そこで、唐突に視界がゆがん で反転する。 |