2.

* * *

 学校帰り、秋子は母に言われた通り、兄のいる病院へと寄った。

・・・・・・多分、母親に行ってくれと言われなければ、行っていなかったのではないかと、秋子

は思った。

事故から3年たった今・・・兄の様態が急変した。・・・昔の彼女なら、むしろ喜んだのかもしれ

ない。兄という存在が、秋子を苦しめていたのだから。

けれども今は・・・・・・3年も経ってしまった今は、分からなくなってきていた。それほど、3年と

いう時間は長い時なのだと、彼女は実感する。

 だから、・・・分からなくなってしまった今、このような形で終わらせてしまうことは彼女には

受け入れ難く、終わらせることから逃げてしまいそうになってしまうのだ。

それはやはり、心のどこかで、兄の無事を祈っている自分がいることに他ならないということ

なのだ。・・・勿論、秋子自身も、そのことに気がついていた。いたのだが、彼女はそれを否

定し続けていた。それから3年―――

「こんにちは」

 ゆっくりと、ドアを横に押し開けながら、彼女は病室に入っていった。

見れば、病室の中は患者が二人しかいないと言うのに、人で混雑していた。医師や看護師

だけではない。しかも、彼らは冬雄ではなく、愛美のところに集まっていた。

「アッコ、来たのね」

「どうし・・・たの?愛美ちゃん・・・」

「さっき、意識を回復したみたいなんだけど・・・・・・様態が悪くて。親戚の人もお見舞いに

来ているの」

 見れば、彼女のベッドの横には、勤務中であるはずの両親が、愛美と手を繋いで医師の治療

の様子を見守っていた。

「愛美、お母さんよ。・・・しっかりね。頑張るのよ」

 懸命に掛け声をしているのは、しばらく見かけることのなかった愛美の母親だ。すらりとした

長身の女性で、いつも趣味のよい服を着ていたことを秋子は覚えていた。ウェーブの掛かっ

た濃い茶色の髪を、後ろに一つに束ねた髪型のため、治療のために髪を無くした愛美と似て

いるようには見えない。だが、その容姿を見て、彼女はなにか違和感を覚えた。

「兄さんは・・・?」

「冬雄は・・・今朝から様態は安定してるわ。でも、時々脳波が乱れることがあるみたいで、

油断は出来ないみたい」

「そう・・・・・」

 秋子は、まるで冬雄を避けるように視線を愛美に向けた。

1年前から、眠ったままである愛美。・・・その彼女の意識が、戻ろうとしている。それも、兄の

様態の変化とほぼ同じ時期に・・・。愛美と兄とは、3年前から同じ病床にいる縁である。勿論、

彼ら自身が言葉を交わしたことなどはないのだが、そのことに、秋子はなにか運命じみたもの

を感じられずにはいられなかった。



◇ ◇ ◇

 ヘラと再会した翌々日、ユゥアが一枚の紙を片手に酒場を訪ねたのは、昼を回った頃合いで

あった。それまで彼は、自分のアトリエで頭の整理をするために、考え事をしながら絵を描いてい

たのだ。

 酒場のカウンターの前には、いつものように雑事をこなすマスターの姿がある。それで、今日の

昼はなんとかなりそうだとユゥアは少し胸を撫で下ろした。

ドアを開けるたびに響くカラカラという耳に馴染んだ音に反応して、カウンターの席の客がこちら

を振り返った。

「あ、ユゥアさん、おはようございます!」

「ああ、おはよう・・・てか、こんにちは、だな、もう」

リンの挨拶に苦笑をしながら、ユゥアはそう返す。

 寝坊をしたユゥアにとっては言い訳にもなるのだが、実のところ、夢の時間で起きる時間を決

めるのは難しい。現実と違って、こちらでは目覚ましを掛けることはできない・・・つまり、強制的

に現実で眠ることができないことが原因となっている。勿論、時間軸自体が合っていないのだ

から、話はさらに複雑だ。夢の中の決まった時間で起きたいのならば、それを強く願いながら眠

りに着くことが唯一の方法なのだが、残念ながらそれを出来る者はほとんどいない。

 ユゥアはカウンターの端の席に着くと、いつものようにマスターに昼食の注文をして、ぐるりと

店内を見回した。店は、相変わらず客はそれほど多くはないが、賑わっている。

「そういや、相棒とデルタは?」

「師匠は今ちょっと・・・アキはまだ寝てるみたいだけど」

「相棒がどうかしたのか?それに、デルタはどうした?」

 事情を説明しようとリンが口を開きかけたとき、当のオルフが裏口から姿を現したのだった。

「よぉ、相棒。どうしたんだ?」

 昼間から遠出をしていたのか、オルフは少し乱れた髪と服を調えながら、ユゥアとリンの間の

席に腰を下ろした。

「デルタさんの姿が、見えなくなっていましてね・・・・・・昨日はずっとこの酒場に私はいたん

ですが、いつの間にか窓から抜け出したようです」

「デルタが?・・・なんでまた、逃げるんだ?まだ相棒が怒っているとでも思ったのか?」

 ユゥアの言葉に苦笑しながら、オルフは言う。

「いえ、そのようなことはないと、思います。」

「・・・・・・いったい、アイツは何を考えてるんだ」

 デルタの様子が、ここのところおかしかった。自殺未遂のことといい、決して穏やかではな

い。アキのこともどうやら何か関係しているのだろうが、一番考えられることは、ヘラとの関

係と、そして―――この世界の不安定なことだ。


 それに・・・・・・

と、ユゥアは今しがた街で手に入れた紙に目を落とす。

「それ、いったい何ですか?ユゥアさん」

「・・・・・・号外、でしょうか。見たところ」

 覗き込む二人に、ユゥアは視線をカウンターの前に向けたまま、持っていた紙を渡した。そ

のまま、グラスに口を着ける。

「これって・・・・・・!」

「いよいよ、ベンス2世が動き始めましたか。・・・・・・フェルディアとの、併合へ」

 配られていた号外の内容は、ラルカントスの現王ベンス2世が、フェルディアとの併合へ

の1歩のために、旧王であるディルティルスを差し出すという内容のものであった。

ユゥアの顔が、苦虫を噛み潰したようにゆがむ。

「ベンスめ・・・・・・国を売るつもりか」

 今のラルカントスの王はベンス2世ではあるが、国を存在させているのは前王であるディ

ルティルスの力によるものである。その彼をフェルディアに送ると言うことは、事実上、フェ

ルディアとラルカントスの統一を意味する。だが――

「でも、ラルカントスを影で操っていた人が・・・どうして簡単に、手放すようなことをするんで

すか?」

「確かに妙ですね。・・・・・・考えるとするならば、前王は囮でしょう。ヘラを引きつける為の」

「なるほど、ヘラにディルティルスをくれてやる代わりに、フェルディアの国・・・・・・いや」

 途中まで考えて、ユゥアは言葉を失った。ヘラは、一国王に留まらないのだ。オルフは不

審そうな顔を相方に向けた。






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