| 18. * * * 「そんな・・・・・・」 「―――ここも、もういくらも持たないだろう。アッコ、お前も行くんだ」 いったい、自分がいない間に、何が起こったと言うんだろう。呆然としている秋子に、デルタ が告げる。 「だがその前に・・・・・・お前に、礼を言わなければならないな」 「・・・え」 何もしていない自分に、いったい何の礼を言うのだろうと、秋子は首を傾げた。 デルタは、戸惑いにも似た表情で、彼女を見つめる。しばらく口を開きかけたまま、何かを考 えているようだったが、やがて自分の考えをまとめるように、ゆっくりと話し始めた。 「お前の気持ちを、私は考えたこともなかった。自分だけが苦しんでいるものと、ずっと思って いた。たった一人の・・・・・・妹なのにも拘わらず」 秋子の顔が、驚きのそれに変わる。 「私を生かしてくれて、有難う。心から、礼を言う」 秋子には、デルタが何を言っているのかすぐに理解できなかった。恐らくそれは、信じられな い事実を目の当たりにしたためだ。 私は、彼に対して何を言えばいいだろう。そう考えて・・・何かを言おうと口を開きかけたとき―― 「行ってくれ、アッコ。・・・・・・大切な、家族よ」 デルタは、アッコの左肩を強く片手で押した。穴の縁にいた秋子の体が、ゆっくりと黒い闇の中 へと傾いた。 ―――え? 待って・・・・・・そう言おうとしたが、声がうまく出なかった。 そして彼女の視界に映ったのは、いつの間にか近くに来ていた、ヘラだった。その姿が、徐々 に・・・徐々に、秋子の知っている小さな姿へと変わっていく。 「――ありがとう」 秋子の耳に届いてきたのは、デルタのものではなく、久しぶりに聞いた声だった。だから、それが 誰だか分かる前に・・・・・・咄嗟に、彼女は叫んでいた。 「・・・・・・ちゃん!」 遠くに消えていくその姿を捕らえようと、秋子の伸ばした手が空を切る。それでも、彼女は手を伸 ばした。今捕まえなければ・・・・・・もう、二度と会うことができないような気がしたから。 「・・・・・・ちゃんっ!」 わかった。彼女が・・・自分が追いかけていたあの少女が、いったい誰なのか。 だが、朧気になる意識の中、自ら叫んだ声が秋子の耳に届くことはついになかった。 † † † 「礼を言う・・・・・・ヘラ」 穴が消えて、その空間にはディルティルスと・・・・・・ヘラであった、愛美だけが残された。 「お兄さんに、ずっとお礼をしたかったの・・・・・・」 年相応の姿に戻ったせいだろうか、声色も、言葉遣いもまた、ディルティルスが初めて出会った 時のものに戻ったように、彼は感じた。 「お兄さんは、これから・・・・・・?」 だが、初めて会った時とはっきりと違っているのは、ディルティルスの呼び方だ。 「・・・・・・私のやるべきことは、ほとんど済んだよ」 ヘラ・・・愛美は、彼のその答えに少し寂しげな顔をした。 「ヘラ・・・・・・いや、愛美は、どうするんだ?」 「私も・・・私は、あと少し、お兄さんを助けたい・・・」 もはや、愛美は彼のことを、”お兄ちゃん”とは呼ばない。それは、彼女がこの長い夢の中で、沢山 のことを経験した事実を、表しているに違いなかった。デルタは、自分のしたことが決して無駄にな ってはいなかったことを感じ、少し安堵した。だが・・・ 「・・・私、は・・・・・・」 ディルティルス・・・冬雄は、思い悩んだ。 そしてこれが・・・・・・最後の超えなければならない壁なのだということに気が付く。 目を覚ましたところで、恐らく自分の状況には何ら変化はないだろう。しばらくは皆、自分の体を 気遣ってくれるかもしれないが、いずれまた、元の生活に戻ってしまう。それが、冬雄が最も恐れ ていることだった。・・・目覚めることを拒ませるほどに。 だが―― 言わなければ・・・自分で何かをしなければ、何も変わらないのだ。 そのことに、この夢で出会った人たちが気付かせてくれた。 ユゥアやオルフィウス、リンや今まで会った人の顔が、ふと脳裏に蘇る。 冬雄は、意を決して一歩を踏み出した。彼らとの思い出を、無駄にしないためにも。 その時が、来たのだ。 「愛美・・・一緒に、帰ろう」 その言葉を、きっと彼女は、3年の間待ち望んでいたのだろう。 愛美が、顔いっぱいに微笑んだ。 「・・・・・・ありがとう」 『・・・いつまで、ここにお前はいるんだ?』 『貴方こそ、いつまでここにいるのかしら・・・・・・?』 ロストで交わされてきた、だがすれ違ってきた言葉が、ここにきてようやく交わる。 冬雄が・・・愛美の手を取った。愛美も、彼の手を強く握る。 そうして2人は、いずこかへと続く白い空間の向こうへと、歩みを進めた。 * * * 目覚めは、思っていたよりもはっきりとしたものだった。 長い・・・・・・長い夢を見ていたような気がした。 何か、大切なことを知ったような気がした。 そして、その夢を見ることは、もう二度とないのだということを、秋子は漠然と感じていた。 秋子は起き上がる。机の上の目覚まし時計は、七時少し前を示している。 それにしても、なんだろう。この気持ちは。なんだかとても、落ち着かない。 たった今まで見ていた夢のことを思い出そうとしたが、頭が動き出すに連れて、ぼんやりと浮かん でいた夢の輪郭は、徐々にかすんで消えていってしまう。そのまま呆然と考え込む彼女は、意識が 再び夢の中に落ち込み掛けていったが、ドアを叩く音ではっきりと覚醒した。 「アッコ・・・起きてる?今、病院から電話があってね、冬雄が、目を覚ましたんだって」 目を、見開いた。 3年間も眠っていた兄が、目を覚ましたというのだ。・・・これは夢じゃないだろうか。 思わず頬を抓ってみた秋子だったが、どう抓ってみても痛いことには変わりなかった。 ・・・・・・だが、次に沸き起こってきたのは、喜びよりもむしろ、恐れに近い感情であった。 「・・・それからね、愛美ちゃんも目が覚めたんだって」 その言葉に、今度は素直に喜びを感じることができた。・・・これは、彼女がよくなる兆しなのかも しれない。 「ご飯を食べたら病院にいくけど・・・アッコも来る?」 行かない理由などなかった。秋子は飛び起きると、急いで出かける準備に取り掛かった。 |