| 7. † † † 眼力を避けるのは、速さを得意とするデルタにとってはわけのないことだ。・・・だが、問題 はオルフをどうやって止めるかということであった。 王で・・・しかも、本気を出しているような相手を止めるには、倒すしか他に方法はないのだ が、もともとの原因である自分が話し合おうといったところで、相手が耳を貸すはずはない。 逃げる足を止めて、デルタは苦し紛れに腰の短剣を抜き放った。その様子を見て、オルフが 薄く笑みを浮かべた。 「倒せますか・・・・・・この私を」 「――止めたい、と思っている」 とは言うものの、本気になった王を止めることなど、デルタには荷が重過ぎる。なぜならば、 デルタは自分が誰かの力によって・・・・・・おそらくは、ヘラの力によって生かされていると いうことを知っているのだから。 誰かに生かされている者の力など、自身の意志で生きている者の力の比ではない。唯一 の救いは、彼を生かしている相手が、ヘラだということであった。 それに・・・・・・実のところ、デルタはオルフを止めるつもりなどはなかった。 ―――まずいな。 だが内心、デルタは焦りを感じていた。 ―――ヘラの気配がまだ近くにある。・・・・・・私が引き付けているうちに、逃げられるといい のだが。 そう、デルタがオルフと戦う本当の理由は、ヘラをオルフから遠ざけるため。 「・・・・・・わかりました。そこまでおっしゃるのでしたら、私も―――」 言ってオルフィウスは、眼鏡に左手をかけた。 「容赦はしませんよ!」 眼鏡を投げ放つと同時に、膨れ上がる殺気と眼力――― デルタは内心に沸き起こる恐怖と焦りを無理やり押さえつけ、地を蹴った。 「貴方が、私の眼力を避けるだけのスピードで移動できることはわかっています。ですが、 これは避けられますか?」 急に口を閉じ、オルフは誰もいない虚空の一点を集中して睨んだ。その瞬間をついて、デル タは疾風のごとく彼の後ろを駆け抜けると同時に、背後を短剣で薙いだが、オルフの受けた 傷は瞬きをした次の瞬間には、完全に消えてしまっていた。 デルタが愕然としたその刹那、オルフの周りの空気がぶれたように見え、一拍置いた後に 具現化した。 オルフとデルタの周りには、六角柱のガラスが幾本も突き立ち、外からの視界を完全に絶っ ていた。しかも、柱は完全な六角ではなかった。複雑な面を持つそのガラスの柱は銀色に 鋭く反射し、まるで万華鏡のなかにいるかのようにデルタの視覚を混乱させていた。 「・・・・・・鏡、か」 これならば、隙を見せればいつでも・・・・・・短剣に映る像によってさえ、デルタをオルフの 眼力の餌食とすることができる。交わすのは、いかにデルタとはいえ容易なことではない。 デルタは柱の周りを駆けながら、いつでも避けられるようオルフの気配を感じとっていた。そ して、彼はガラス柱の一角が、青い光を帯びていることに気がついた。 目にも留まらぬ速さで・・・・・・白銀の怪盗にも勝るであろう速さでオルフの横に出たデルタ は、攻撃するのも忘れてその場で足を止め、強く右足で後方に向けて跳んだ。 オルフの周りの青い光を放っていた空気が凝集し、四散――再び集中させていた眼力が、 解き放たれたのだ。 「海眼・・・・・・ディープ・ブルー!」 辺りのガラス柱が一斉に蒼い光を放って、駆けるデルタを捕らえた。 足を躓かせ、立ち上がったデルタは柱の、その一面にオルフィウスの蒼い双眸を見た。 視線を避けながら投げた短剣は、その一面を抉りオルフの双眼を視界から消した。だが、そ の僅か一瞬で、オルフの眼力はデルタを捕らえていた。 次の瞬間、身体に起こった異常に彼は目を見開いた。 「・・・・・・い、・・・きが・・・」 デルタは、息ができなくなっていた。それも、通常の息を止めるような、そんな状態ではな い。ただ息を止めているよりも、ずっと苦しくなるのが早いのだ。そして、身体が押しつぶされ るような、そんな妙な力を周囲に感じていた。音も何も聞こえない。身体が、思うように動か ない。 ―――まるで、深海の中にいるかのごとく。 「ディープ・ブルーは、相手の意識に直接影響を与えます。自律呼吸を止め、神経回路を鈍ら せ、そして三半規管を狂わせる。最も強力な眼力と言ってよいでしょう」 倒れこむ己の頭上から、オルフの静かな声が振ってくるのをデルタは聞いた。 「お願いです、デルタさん。・・・教えてください」 哀しみの色の混じるその声を遠くに聞きながら、デルタの意識は蒼い暗闇の中へと落ち込ん でいった。 ◇ ◇ ◇ ロストに足を踏み入れるのは、ユゥアにとって久しぶりのことであった。ロストに秋子が入る のは、おそらく二回目、リンは初めてだろう。 「ここが、ロスト・・・・・・」 目の前に続く荒廃した灰色の地を見て、リンは言葉を失くしていた。 「相棒の気配がする・・・・・・けど、気配が乱れてる」 「いったい、師匠はどうしたの?誰かにやられてるの?それとも――」 遠くを見るように視線を彼方に飛ばしているユゥアは、リンの言葉を手を振って止めた。どう やら、ああすることで彼には、遠くにいる者の気配のようなものがわかるらしい。 「なんか、おかしいな」 「いったい、何がおかしいの?」 「相棒の気配が、妙に強い・・・・・・こんなの初めてだぜ」 ユゥアの表情が引き締まる。 相棒の気配が強まっているのと同時に、ロスト全体の存在が妙に不安定になっているように、 彼には感じられたのだ。 いったい、何が起こっているのか――― 「早く師匠を助けないと」 「いや、ちょっと待て」 今この状況で迂闊に動いていいものかどうか、ユゥアには判断し難かった。というのも、オル フの強い気配の近くに、注意しなければ気が付かないほどの微弱な気配が、二つほどあった からだ。しかも、うち一つはデルタの気配に酷似していた。 オルフィウスの強い気配とロストの存在の揺らぎ・・・・・・そして、彼が夢幻の唯一生き残りで あるという事実。これらからユゥアが想像できたことは、考えたくもないが、一つの可能性しか ない。 「相棒が、まさか・・・」 ――ロストはオルフの国。 滅びた国を荒らされるのは、まして王であれば、決して気持ちの良いものではない。 恐らく、デルタの気配がいつもより弱いのは、オルフの攻撃を受けているからだろう。彼は、 これまでも何のつもりか、度々ロストへ入っていた。近くにあるもう一つの気配が何者かは分 からない。デルタの隠れた仲間か、もしくはアキと同様にロストで保護した者だろう。だが前者 の場合はともかく、後者であれば早急に保護する必要がある。デルタの気配がこれだけ微弱 になるまでオルフが攻撃しているのだとすれば、並みの者がその場に一緒にいて生きていら れるはずはないからだ。 しかし―― そう思う反面、自分たちがロストに侵入することで、余計に彼を刺激させてしまう可能性もあ り、そのことがユゥアの足を鈍らせていた。 「私、行く!師匠を見殺しになんかできない!ユゥアさんが行かなくても、私は行くわ!」 気配を読むことの出来ないリンは、完全に彼の躊躇いを解釈違いしていたが、確かに、オル フはともかくもデルタのことを見殺しにすることは、ユゥアにはできなかった。 「よし、行こう。けど、俺の前には絶対出るんじゃねぇ、いいな?」 後ろにいたリンとアキが頷くのを見て、彼はロストの地を蹴った。 Ψ Ψ Ψ 人が、自分の命と引き換えにしてまで守ろうとするものとはいったいなんだろう。 地位か、名誉か、愛か、それとも―― 「・・・・・・教えてください、デルタさん」 だが、オルフに言葉を返すべき相手は、眼前に意識もおぼろに倒れていた。虚空を見つめる 濃紺色の瞳は、暗い光を帯びており、何の感情も伺えない。 ただ、再三のオルフィウスの呼び掛けにも口が頑なに閉ざされていることが、唯一彼の意志の 強さを示しているのかもしれなかった。 「教えていただけないのであれば――」 彼は言葉を切って、瞑目した。そこから先は、いかに王とは言えど口にすることが躊躇われた。 ・・・が、相変わらず閉ざされたままのデルタの口元を再び見て、意を決して、彼は言った。 「・・・・・・私は・・・・・・。貴方には、消えてもらわなければならない」 その彼の言葉を、デルタは聞き取れたかどうか。 |