| 3. オルフは、立ち並ぶ露店のうちの一軒に入っていった。今のこの、夏という季節には関係 のない花々が、店内にも店外にも咲き乱れている。・・・・バルバロイの街でも老舗の花屋 だった。 鉢植えの手入れをしていた店員に、彼は声を掛ける。店員は、オルフよりも少々年上ではあ ったが、それで相手のオルフに対する好奇の色が薄れるはずもなかった。おそらく、新しく雇 われた店員なのだろう。月に一度はこの店に寄るオルフにとって、初めて見る顔だった。 「いらっしゃいませ。どのようなものをお求めですか?」 ”彼女”はどんな花が好きだっただろうか。 一年たった今、”彼女”のイメージはおぼろなものとなっている。月に一度、彼はこの思いと 葛藤しているが、どんな花が好きだったのかはいつも思い出せず、結局いつも”彼女”の雰囲 気に一番ふさわしい花を選んでいた。 ”彼女”の雰囲気は・・・、彼女の好きだったものは・・・記憶の細い糸をたぐり寄せる。曖昧 なイメージを、その輪郭を、よりはっきりと認識するために。 店員の言葉にしばし考えて、オルフは言った。 「明るい、太陽のような花はありますか?」 「・・・・・・あ、はい。ございますよ」 彼に見とれていたあまり、思わず反応が遅れてしまったのは仕方のないことだろう。 そして店員が彼に示した花は、十数種類に及んだ。その中で店員はヘリクリサムという花 を強く薦めた。見た目は、ひまわりの花を小さく可憐にしたような感じだが、キク科の花の持 つ独特の華やかさは、決して失われてはいない。 「お客様には、この花がお薦めです。・・・・・・花言葉というものをご存知ですか?」 突然彼女に訊かれて、花選びに迷っていたオルフは戸惑った。 「いえ・・・恥ずかしながら、あまり花には詳しくないもので」 だが苦笑しながら言ったその彼の言葉を、店員は決して否定などせず、寧ろ知っている自 分が恥ずかしいというような様子で彼に説明した。 「とんでもごさいません、女性の間でも知っている方はあまりいませんわ・・・。花言葉という のは、その花の持つ意味のことです。一花一花に違った意味があるんですよ。私のお薦め するこちらの花言葉は、永遠の思い出と言います」 ・・・悪くない響きであった。いや、むしろ、彼自身の望みをそのまま表しているのではない だろうか。そのことに彼自身は気づいてはいないのだろうが、彼はその花と花言葉を気に 入り、その花束を買うことにした。 「畏まりました。プレゼント用になさいますか?」 「ええ・・・それでお願いします」 「お名前はお入れしますか?」 言ってしまってから、はっと店員は口を閉ざした。オルフは特に気に留めていなかったが、 どうやら店員は言ってから何かを後悔したようだった。オルフは優しく笑いながら答えた。 「ええ・・・・・・お願いします。名前は・・・かつて愛した美翠、と」 彼の言葉に、彼女は怪訝な表情で彼を見つめた。それに微かに笑いながら、オルフは付 け加えた。 「・・・明日、彼女の命日なんです。ですから、いつも月命日には、ここで花を」 「そうだったんですか・・・・・・。あ、こんなことを聞いてしまって申し訳ありません。すぐに用 意いたします」 何度か頭を下げてから、何か安心したような顔つきで店員は奥へと入っていった。 詫びる店員の心中には、美翠という女の冥福を祈り、オルフを哀れむ気持ちと、彼が独り身で あるということへの安堵感が入り交じっていたのかもしれない。 「お待たせ致しました、こちらになります」 それから少し待って差し出された花束は、店員の顔が2つ分くらい隠れてしまうくらいの大き さで、抱えるのもやっとであるほどの見事なものだった。オルフが、支払い用のカードを差し 出して花束を受け取って礼を言うと、頬を少々赤らめて彼女は会計のために奥に入ってい った。 花は、一色だけでなく、現実にない色の花もあるのか、橙、黄、白、桃色の花が混ざってい た。それらがまとまって、暖系色の暖かな色彩がオルフの両手から溢れていた。 店員に再び礼を述べ、店を後にした彼はそのまま酒場へと戻ることにした。バルバロイの 街で一夜を明かす必要もなかったのだが、受け取った花束が大きすぎたので、花を分ける ために酒場へ戻らざるを得なかったのだ。 そして――明日。 オルフィウスの待つ、明日の、夜。その日はまさに、聖都“夢幻”崩壊の日であった。 § § § ロスト、そこにはいつも同じ風が吹く。廃墟となった建物の、そのコンクリートの砂塵が風 に舞い上げられて、残骸となった都市の輪郭を朧気に映し出している。ロストという存在 自体が曖昧になっているようにも見受けられた。 そのロストの中心部に、ディルティルスは佇んでいた。ラルカントスの前王が、何故ここに いるのか――? 「貴方はいつもここにいるのね」 風が彼の耳に運んできた声は、若い女のものだった。だが言葉の端々に、諦めにも似た 憔悴の色が伺えて、その容姿にそぐわない”衰え”を感じさせた。 「――お前に、話があって来た」 薄紅色のドレスを風になびかせながら、ブロンドの髪の女は・・・ヘラ・・・は、軽く首を傾 げて質問の意味を訊いた。 「何かしら?」 一瞬躊躇った後、ディルティルスは用件を言う。躊躇いを感じたのは、その言葉の重さに たじろいだせいかもしれない。 「・・・・・・何故、私を生かすんだ?」 だが、訊かれたヘラ自身は、訊かれる内容を予想していたようだった。特に驚くことも、取 り乱すこともなく、彼女はじっと彼のことを見返した。今は、彼の話を聞くことが必要なのだ とヘラは考えた。 「私に恩を感じて、それを返すためにそうしているというのなら、それは間違いだ」 ヘラは、彼の言葉に戸惑った。内容だけでなく、彼の語気に、いつも以上に強い感情を感 じたせいもある。 言葉を選びながら、ヘラは質問には答えずに、逆に彼に訊いた。 「貴方こそ、いつまでここにいるのかしら・・・・・・?」 傍から聞けば、二人の会話はまったくすれ違っているように思えるが、ディルティルスに は、その彼女の言わんとすることがわかった。彼は目を細めた。 「確かに、この場所を教えてくれた貴方には、とても感謝をしているわ。・・・・・・でも、だ から、私は貴方を助けたいの」 ・・・・・・もう、自分は長くはここにいられない。 だから、お願い、気がついて。ディルティルス・・・・・・。 私が貴方を生かしているのでは、ないということに。 そして、これ以上、自分を傷つけないで・・・。 「なら、何故・・・・・・」 ヘラの思いは伝わらない。人に心を伝えることが、夢の中でもこんなに難しいとは・・・も どかしさに、ヘラは、唇を噛んだ。 だが、いったいどうしたらいいのかと考え始めた時だった。いつもの頭痛が、衝撃となっ て彼女の体を襲った。 「・・・・・・ヘラ?」 倒れ込んだ彼女の体を、すんでのところでディルティルスが支えた。 「・・・悪化しているんじゃないのか?」 彼の問いに、ヘラは弱々しく首を横に振った。 「嘘を吐くな。・・・・・・この聖都が消えたのは、この国の王のせいじゃない。それも、皆、感 づいている」 ディルティルスの言葉に、彼女は目を伏せた。否定できなかった。 「ヘラ・・・・・・一年前から、この世界自体が不安定になってる。シーデリーや他の多くの 国が消えた。それに、お前の姿をこの世界で見かける機会も、以前より少なくなっている。 ・・・いつまで、お前はここにいるんだ?」 ヘラの訊いた質問を、彼はそのまま返した。 「・・・・・・私は、・・・まだ大丈夫よ」 だがその言葉に、以前ほどの力はなかった。なかったのだが・・・ 「だがら・・・、私はまだここにいるわ。貴方が教えてくれたんだから」 痛みをこらえながら言った言葉に力はないが、後には引けないのだという、彼女の意志 に満ちていた。言葉の真意をディルティルスは理解していないが、彼女の意志の強さだ けでも伝われば、それでいいと彼女は思った。 「ここで少し、休んでいけばいい。フェルディアに急いで戻る必要もないだろうし、私も今日 はラルカントスに戻る必要はないからな」 彼の心遣いは嬉しかったが、こんなにも近くに、長い間一緒にいるのに、どうして気持ち は伝わらないのだろうと、瞑目するヘラだった。 |