| 11. Ш Ш Ш 私は何故、この世界にいるのだろうか・・・・・・ ―――教えてくれ、ヘラ。何故、私を生かす。 何故、私を苦しめるんだ。 見上げた月は、まあるく、夜空に明るい。 屋上に独り立ち、男は虚空を見つめていた。月の光は明るくとも、その姿を映すには弱 い。ただ辛うじて、その輪郭を夜陰に浮かばせていた。束ねられた長い髪が、ぬるい風 に柔く舞い上げられる。呟いた声が聞き取れなければ、見る者はきっと女だと思うだろう。 彼女にどう侘びればいいのだ。 彼女に何を侘びればいいのだ。 そして私は、どう償えばいいのだ。 力なく、彼は膝を着いた。 そして目線とともに下がった視界を戻そうとして、首を反らした。 夢の中の月は、空が曇に覆われていてもなぜか綺麗だった。 ・・・・・・・・・・・・・・最後に見られるのが、この月でよかった。 もう私は、十分に耐えた。 だから、頼む。 ここで、この永遠と続く悪夢を、終わらせてくれ――― 腰から抜いた短剣が、月の光に眩しく、とても綺麗だと思った。 柄を握る両手に力を込める。 滅びるのは一瞬だ。 ―――だが、悪くない。 瞑目し、短剣の刃の先端が、ひやりと喉笛に当たるのを感じた。 その感触に心地よさを感じたのは、わずか一瞬のこと。 ◇ ◇ ◇ 「―――デルタ!!」 刹那、大きな声が聞こえ、そして怯んだ男の手の短剣が、何かに弾き飛ばされた。 視線を走らせて、月光に照らされて見えた果たしてそれは・・・・・・絵筆だった。 駆け寄る足音を聞くと同時に、男・・・デルタの左の顔面に拳が振り下ろされ、その場で 彼は倒れこんだ。・・・その一部始終を、ユゥアが肩で息をしながら見下ろしていた。 「なにやってるんだ、お前っ」 デルタの胸ぐらを掴んで引き起こし、彼は問い詰めた。 デルタは瞑目したまま、何も答えようとはしない。ただ、左手が何かを求めて床を這って いる。そのことに気が付いたユゥアは、鳩尾に拳を埋めて彼を気絶させた。だらりと腕が 伸び、長い茶髪がユゥアの顔にかかった。 「まったく・・・どうかしてるぜ」 仲間のすっかり疲弊した顔を見て、ユゥアはそう呟く。 髪を払いながら、彼はデルタを担ぎ上げ、宿の自分の部屋に連れ帰った。そして一つし かない自分のベッドに乱暴に横たえ、絵筆を取り出した。その衝撃で、デルタが呻きをも らす。そして目を覚まし、身動きしようとするデルタの両手両足首に、戒めを描いた。 書き終わった瞬間、それらは具現化して彼の両手両足をベッドに縛りつけていた。 「これでよし、と」 筆を再び左脚に戻したユゥアは、窓辺にあったイスを手に取り、ベッドの横に置いて腰を 下ろした。他にすることもなく、うっすらと目を開けて天井を見つめるデルタを何も言わず にただじっと眺めた。 しばらくは、静寂が流れる時を埋めた。 デルタは、まるで蝋人形のようにじっと動こうとしない。どうやら息はしているようだが、 ユゥアが降ろしたそのままの姿勢で死んだようにおとなしく、一向に何も話そうとはしなか った。 やがて、いつまでもこのままではいられないと、たまり兼ねたユゥアが彼に声を掛けた。 「起きているんなら、何か言えよ」 不意に、デルタが視線だけをユゥアに寄越したが、その視線が怒っているようにも見え、 一瞬ユゥアは怯んだ。というのも、こんな風にデルタに睨まれるのは、彼にとって初めて のことだったからだ。 「何怒ってるんだ」 デルタは視線を元に戻してしまい、相変わらず何も言おうとはしない。まるで、言わなく ても答えはわかっているだろうと言わんばかりだ。 「あそこで、何をしてたんだ」 こうなったら、相手が話すまで話し掛けてやると、ユゥアはデルタとの根気比べを始めた。 だが意外にも、彼の計画は二言目にてあっさり成功を収める。 「死ぬ気だったのか・・・・・・」 「――何故、放っておかなかった」 デルタの声はいつになく低く、よく通って聞こえた。それが自分を責めているように聞 こえて、自分が悪いわけではないと、ユゥアは再び彼の強い視線を受け止める。 「お前を見殺しにしたくなかったからだ」 「助ける相手に、生きている価値がなくても、助けるというのか?・・・それは、助けら れた者を、余計に惨めな思いにするだけだとは、考えなかったのか?」 珍しく多言なデルタに、ここまで話してくれるとは思っていなかったユゥアは内心、驚か ずにはいられなかった。少しの間を置いて、彼は言った。 「お前のことなんか知るかよ。他人がどう思っているかなんて、大抵はそれを考えるヤ ツの妄想や偏見だからな。甘過ぎるぜ、何にも言わずに自分の考えを相手に分かって もらおうだなんて言うのは」 そう言いながら、ユゥアはリールクのことを思い出していた。デルタに言った言葉は、自 分自身に言い聞かせるためでもあったのかもしれない。 リールクの容姿が、すでにユゥアの中で曖昧なものになってきている。裏切られたとは いえ、信頼してきた仲間と別れるのは辛かったのだが、その思いすら、淡くなり始めている。 夢の世界での記憶や想いは、覚えていようと意識をしていてもどうしようもなく失われてい く。脆く、儚い。 記憶が失われた後に残るのは、もう決して会えなくなってしまったという、悔恨の気持ちの み。 そして思い出せないだけに、リールクに、もう一度会いたいという気持ちが余計に強く 湧いてくるのだ。そして夢の後に残るのは、言葉が足りていなかった自分への苛立ち と、後悔の気持ちだった。 その思いを振り切るかのように、ユゥアは席を立った。少し、独りで休みたかった。 「少し頭を冷やせ。話はまた後だ」 ドアのところまで来て、彼はデルタを振り返り、枷に視線を走らせた。自由にすれば、 またきっと彼は自殺を図ろうとするだろう。この夢の中で死ぬことが、現実でどういうこ とになるのかは検討がつかなかったが、決してよいことにはならないと予想が着いた。 現実では見も知らない人なのだろうが、かといって仲間として信頼してきたのだから、 ユゥアとしては放って置くことはできなかった。 何も言わず、彼は鍵を掛けて部屋を後にした。 ユゥアが酒場へと戻ったのは、夢の中の夜が明けた頃だった。 「なんだ、起きてたのか」 眠っていることを気遣ってか、音も立てずにドアを開いたユゥアだったが、相変わらず ベッドの上で目を開けたままのデルタを見て、一瞬言葉を詰まらせた。 そろそろ枷を解いた方がいい頃かなどと考えながら、彼は後ろ手にドアを閉めて、ベ ッドの横にある椅子に再び腰掛けた。 天井を眺めている・・・というよりも、睨んでいるように見える・・・彼を見て、ふと、ユゥ アは前から気になっていたことを思い出した。 「前から気になっていたんだけどよ・・・・・・」 デルタは動かない。それが話の先を促しているのか、それとも単に聞いていないのか はわからなかったが、ユゥアは先を続けた。 「お前の寝ているところを見ないんだけどよ、・・・それはワザとそうしてるのか?」 大したことではなかったのだが、何かしら話をするためのきっかけが欲しい。そう思って 言った言葉だったが、なぜかデルタに鋭い視線を返された。 気づいてはいけないことに触れてしまったかのような、気まずい空気が流れた。 「いつから、そう思っている?」 しばらくの沈黙があったため、唐突にデルタが話し出したように彼は思った。 「半年くらい前かな。お前はあんまり酒場に長居しないからな」 その言葉を受けて、デルタはまたしばらく何も言わなかった。まるで、どこから話せばいい のかを、考えているようだった。 「お前と逢ったのは、一年前だったな」 どうやら彼は、思い出話から説明を始めるようだった。肯定の意味で、ユゥアは黙って聞い ていた。 「この夢を人々が見るのは、必ずしもこの夢を見たいと思うからではない。私がここにいる のも、そうだ」 「お前も誰かに生かされているって言うのか?だが、それとこれとどういう関係がある?」 再びデルタは言葉を切り、目を閉じて、ユゥアの視線を遮った。 「・・・・・・私は、ずっと眠り続けている」 語る彼の眉間に、皺が刻まれていた。 「この三年間、ずっと。・・・私は、帰らぬ人になるはずだった」 初めて聞かされる話は、ユゥアに身動き一つ許さなかった。 「だが、私が死ぬことはなかった。現実に帰ることを許されない私は、しばらく夢の中を彷徨 い・・・・・・、そして、ここにたどり着いた。一年前になる」 「なんで、帰れないんだ?・・・まさか」 その先を言おうとして、そこまで触れるのは危険だと、踏みとどまった。その言葉を安易に口 にするのは、例え夢の中とはいえ憚られた。デルタにも何を言おうとしたかが分かったのか、 彼は首を横に振るだけで答えた。 「いや、・・・・・・私は、自分で終わらせようとした。私には、あそこにいることが苦痛だった。 帰ろうとすれば、元いた場所へ戻ることはできる。だが、私はそれを望んでいない」 「現実で死ねなかったから、ここでの死を選んだのか?だがここでの死は―――」 「現実での死を意味する」 予想外の言葉に、ユゥアは閉口する。 「現実で死ねば、生命現象が停止して、思考もできなくなる。夢を見ていることは、生きて いることでもある」 ユゥアは、何か、恐ろしいことを聞かされているような気がした。だが彼は、その気持ちを 押さえつけた。 「なんでだ。何故死ぬ必要がある?死んでいい命なんて、ないんだぞ。残されたヤツは・・・ お前を、ここで生かそうとしたヤツはどうなるんだ!」 まだ朝早い時間なのにもかかわらず、彼は、最後には叫んでいた。 信頼している仲間を失いたくない。それに――― 彼がここにいたくないのにも拘わらず、ここに存在しているのは、それを望むものがいる からに他ならない。アキと同じように。 「・・・・・・人はなぜ、人の心がわからないんだろうな、ユゥア。私は、疲れた」 嘆息交じりにそう呟いたデルタは、再び目を閉じた。 「わからなくて、いいんだ。だから、信頼できるんだと、俺は思う」 ユゥアは立ち上がり、再び絵筆を手に取った。・・・彼を信じているから、その証を示さな ければならない。 「俺は、お前を信じてる。そして、死んで欲しくはない。それに・・・・・・アキは、もうお前を 恨んじゃいない」 デルタの枷を解いた彼は、それ以上は何も言わずに部屋を後にした。 ―――お前を信じてる。 ユゥアのその言葉は、いつまでも、デルタの心に消えることなく残っていた。 |