5.

* * *

6月25日、火曜日。

学校からの帰り、秋子は必ず兄の病室に寄っていた。といっても、特にすることはない。

・・・もう、3年も目を覚まさない、兄を静かに見つめるだけである。

秋子は、物音に隣のベッドを振り返った。この病室には今、秋子の兄、冬雄

の他にもうひとり患者がいた。

「あ、おはよう、愛美ちゃん。気分はどう?」

 愛美ちゃん、と秋子に呼ばれたのは、今年小学6年生になった女の子だ。眠っている

のか、秋子の言葉には返事をしなかった。彼女は冬雄が来るだいぶ前から、この病室

にいるらしい。ふと、ベッド上にある飾りが目に入った。

飾られていたのは、七夕用の笹だ。葉の付け根には、色とりどりの短冊や飾りがつけら

れている。そこに書かれた字を見て、秋子は首を傾げた。短冊には、愛美の両親が書

いたと思われる字と、秋子と、秋子の両親の書いた字と、そしてもう一種類・・・たどたど

しく書かれた字があった。

「・・・・・・ああ、これ、去年のね」

 去年の七夕に、秋子と愛美の家族が七夕飾りを作ったことを思い出した。

「愛美ちゃんは、どんなことをお願いするの?」

 秋子が訊ねると少女は、動かない右手で一生懸命に書いていた短冊を、さっと両腕で

隠してしまった。

「お姉ちゃんにはひみつ―――」

 楽しそうに笑いながら、宝物を隠すように秋子から短冊を遠ざけた。結局秋子は、その

まま愛美が何を願ったのか知らずに一年が経ってしまったのだ。

改めて、秋子は愛美の書いた短冊を読んでみた。

「お兄ちゃんとお姉ちゃんの幸せ・・・?」

 短冊には、そう書いてあった。

「お兄さんとお姉さん…愛美ちゃんには兄さんも姉さんもいなかったと思ったけど・・・」

 いったいどういう意味だろう・・・そう思っていると、ドアをノックする音が部屋に響いた。

「失礼します。榊さん、具合はどうですか?」

 換えの点滴を片手に入ってきたのは、看護師さんだった。肩口で切りそろえた髪が清

潔なイメージを与える彼女は、母と同じくらいの年のベテランの看護師だ。

「あら、来栖さん、こんにちは。今日もお兄さんのお見舞い?それとも、愛美ちゃんのほ

うかしら?」

 3年も通っていると、馴染みの看護師ができるようになる。病室に入ってきた彼女も

その一人で、冬雄が入院した当時は両親ともにとてもお世話になった。

「ええ、どちらも・・・です。あ、でも今日は、これで帰ります」

 重そうな学生鞄を手にとって、よろしくお願いします、と病室から出て行く彼女の姿を

見送りながら、看護師は思う。

「もう、来栖さんも3年になるのね・・・」

 担当の医師が安楽死の話を持ち出したのが、ちょうど1年ほど前のことになる。植物状

態の患者を支える家族には、年とともに金銭的にも精神的にも負担が圧し掛かってくる。

ここに来る秋子のその疲れた表情が、なによりその証だ。ここ1年・・・隣の愛美の容態

が悪化して寝たきりになってしまった時から、彼女がここで笑う顔を、見たことはない。

冷房の風に弱くゆれる七夕の飾りを見て、看護師もまた、二人の患者の回復を願った。



◇ ◇ ◇

 相棒を部屋・・・二人は、酒場の2階の部屋を借りているだ・・・のベッドに運んだユゥア

は、リンとデルタに酒場の後片付けを任せ、相棒の様子を見ていた。

「・・・まったく、とんだ災難だったなぁ、相棒」

 ベッドのそばにあった椅子にだらしなくくつろぎ、ユゥアはひとりそう呟いた。因みに、オ

ルフはまだ眼を覚ます兆しがない。

「・・・なあ、相棒」

 椅子にもたれかかったその姿勢のまま、彼は窓の方へ視線を向け、その先にあるであ

ろうものを睨んだ。

 ラルカントスの郊外―――

そこには、ひとつの大きな屋敷がある。

 その屋敷は、ラルカントスでは知れた貴族の屋敷だ。主人は多くのアルビノを飼い、必要

な時は王に傭兵として献上している。王からは大層信頼を得ているが、アルビノの扱い

に関しては劣悪極まりないと、仲間の間では評判だった。

・・・そう、ユゥアの仲間。


 かつて、ユゥア自身がそこにいた。ユゥアもまた、その屋敷の主人のアルビノだったのだ。

主人に買われ、少ない食料で日夜働かされ、戦士としての腕を磨かされた。もう、1年以

上も前の話になる。

「これは、運命なのか?」

 1年前、彼は落雷によって起きた屋敷のコンピュータ停止事故の隙をついて、運よく屋敷

を逃げ出すことができたのだ。だが、逃げられたのは彼一人だった。

屋敷のアルビノ全員には、主人に忠誠を誓うために首輪がつけられる。その首輪は、発信

機として働くほか、お使い以外で屋敷から離れた脱走者の首を自動的に絞めるのだ。

 その制御が、屋敷にあるコンピュータで行われている。たまたまコンピュータの停止に気

がついた二人のアルビノが、屋敷からの脱走を試み、うちひとりが成功した。

それが、ユゥアだった。

彼は、未だにその屋敷の主人と、共に脱走しようとした相棒の名を忘れることができない。

「スカッチャー・・・・・・リラ」

 いつか、スカッチャーには復讐をするつもりだった。屋敷を出た時、この借りをいつか必ず

返すと、相棒のリラと誓ったのだ。

だが、もう一人の脱走者であるリラは今はいない。正確には、屋敷を出てしばらくして、逸れ

てしまい、それきり、行方が知れないのだ。約束していた場所に数週間待っていたが、彼が

現れることはなかった。

「リラ・・・お前はいま、どこにいるんだ・・・」

 自分が消えたいと望めば、簡単に消えることのできるこの世界。彼がすでにこの世界に

いない可能性も十分にある。

 相棒を探し続け、ついにはロストにたどり着き、そこを放浪していた彼が出会ったのが、目

の前に眠っている今の相棒のオルフィウスだ。

「相棒、俺、次で仕事止めるかも・・・」

 呟いた言葉に、少し前から気がついていたオルフはユゥアが気がつかないようそっと視線

だけを彼に向ける。薄目を開けて見た、ユゥアの表情は険しい。もう少しこのまま眠っていた

方がよさそうだと、オルフはそのままじっとしていた。






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