2.

* * *

 秋子は、机の上に生物の教科書を広げていた。

家にいるときは、いつも机の前に座っている。そして教科書と時計とよく睨めっこをしてい

た。とりあえず文字を眺めてはいるのだが、どれも目を素通りしていく。はっきり言って、

まったく興味などわかない。ただ、赤線の引いてあるところだけよく覚えておくのだ。

「・・・あ、もうこんな時間。はやくご飯食べないと」

 今日は土曜日。学校は休みで、秋子は朝から晩までご飯時以外はほとんどずっと部屋の

机の前に座っていた。時折、ベッドの上に寝転がったり、本棚から漫画をとって見たりし

ていたためか、教科書のページはさして進んではいない。伸びをして、夕食を作りに台所

へ向かった。

 部屋のドアを開けると、廊下は真っ暗だった。

「あ、玄関の電気つけておくの忘れてた」

 土曜日の午後、秋子の家には彼女を除いて誰もいなくなる。だから、夕食は彼女一人で

済ませることになっていた。玄関の電気は、防犯のためにつけておくようにしていた。

リビングからキッチンにかけての電気をつけて、そのまま冷蔵庫へ直行。中を見回して、出来

合いのおかずの残りや適当な材料を使って、自分の夕食を作り始める。

 毎週土曜日、秋子の家には彼女以外誰もいなくなる。・・・・・・3年前からのことだった。

彼女の兄が交通事故で病院に運び込まれたのは、3年前の7月6日の夕方だった。家に

連絡が入ったのは、ちょうど母親が夕食の準備をしているときであった。

母親は夕食の用意もそのままで、父親は出張先から病院に飛んできた。その時の両親の

顔は、今でも彼女は忘れられない。彼女自身は、兄の病床でただただ泣いていた。

その兄は、3年たった今も目を覚まさない。体力は回復したものの、事故で意識不明となっ

たまま時が経ってしまった。いわゆる、植物状態である。

 当時は毎日のように病院へ見舞いに来ていたが、兄の生命維持費用のこともあり今では

週に一度、土曜にだけ両親は見舞いに行っている。秋子自身は、学校の帰り、時間のあ

るときには必ず病院に寄っていた。見舞いといっても、相手は動きも話もしないので、彼女

はただ傍らに座って、もう3年間も覚めない夢を見続けている兄の顔を見つめているだけだ。

・・・・・・そして心の中で、自分自身を責め続けている。

 テレビを見ながら簡単に食事を済ませ、秋子は再び自分の部屋に戻っていった。

今日はまったくはかどらない、もう寝ようかな、などと思いながら、再び教科書とにらみ合い

を始める。このまま眠ったら、またあの夢の続きを見るのかな、と赤線を引いて次のページ

をめくる。

 まったく、本当に不思議な世界だ。

声も聞こえる、景色も見える、怪我をすれば痛みだって感じる。夢の中でも、生きていること

を実感する。違うのは、秩序と常識だ。

 近代化が現実よりもだいぶ進んでいるが、生活に活気がない。あの暗い空を思い出すたび

に、まるで虚無が世界を包んでいるようだと、秋子は思った。

 あのスカッチャーとかいう男の家で、彼女は他のたくさんのアルビノと共に下働きをさせられ

ている。働いていて、彼女は、その屋敷にいるアルビノ全員が、男であることに気がついた。

男に負けてはいられないと、彼女もまた男のように振舞ったが、すでに他のアルビノからは

オカマ扱いをされるようになっていた。

 屋敷に住むようになってから、まだ2日しか経っていないが、いつも一緒に行動することが

多いせいか、多くのアルビノと知り合うことができた。・・・しかし、彼女には気になることがあ

った。

「夜は、一人でいないほうがいい」

 知り合ったアルビノたちから、それぞれ個別にそう小声で忠告された。いまでもその意味が

秋子にはわかっていない。いったい何のことなんだろうとぼんやりと思いながら、彼女の視

界は徐々にぼやけていった。



―――夜

秋子は、仲間たちの寝息を耳にした。どうやら、今は夜のようである。

部屋の中は、寝息以外は聞こえてこない。寝室として割り当てられた部屋は、ただの駄々

広い部屋である。そこに、アルビノ全員が雑魚寝するのだ。もちろん布団などはない。肌に

ひんやりとした床の石の感触がよみがえった。

もう一眠りしようと、秋子が再び目を閉じた時、”それ”は起こった。

「な、なにするんだ」

 男の怯えた声。次に聞こえたのは、断末魔の叫び―――

「おい、はやく口をふさげよ」

「それより早くしろ、スカッチのヤツがいつ気づくかわかんねぇぞ」

 聞こえてきたのは、ひそひそとそして慌しい複数人の小声。

なにを・・・・・・と思い起き上がろうとした彼女の頭は、強い力で思い切り床に押し付けられ

た。・・・後ろで寝ていた仲間の、ガロンだ。

しばらくそのままじっとしていると、生臭い臭いとともに何かを食むような音が静かに聞こえ

てきた。先ほどの、男の悲鳴・・・・・・

『夜は、一人でいないほうがいい』

スカッチャーの屋敷での労働は厳しいが、与えられる食事は十分なものではない。秋子自

身は食べる量がそもそも少ないため、それほど空腹は感じていなかったが、そのために彼

女は失念していたのだ。・・・・・・本当に空腹の時、人はどういう行動に出るのかを。

そして今、仲間の忠告の意味をようやく悟った。

狙われる獲物は、非力で、仲間がいない・・・。

自分もいつ狩られるか、わからない。

いまはまだバレてはいないが、他の仲間と比べたら、自分は力がなさ過ぎる。それを知られ

たら、今の仲間は自分をどうするだろうか。仲間はよく言っている。腹が減る、と。答えは明

白だ。

―――自分は仲間に狩られる。



 次の日、秋子は部屋の隅に短剣が転がっているのを見つけた。

いざという時に、使えるかもしれないと鞘から引き抜いてみると、血糊が刀身についていた。

嫌悪感を無理やりに押さえ込んで懐にしまい、洗濯仕事の合間に血を洗い流した。

綺麗になった刀身が、彼女の変わり果てた顔を映す。

「必ず・・・生き延びてみせる。そして―――」

 このようになってしまった、すべての原因である、あの女・・・・・・。

自分を売り物にした、デルタという名の女を彼女は許せなくなっていた。

刀身に映る彼女の顔が、引き締まる。

「あいつを、必ず仕留めてやるんだから」






[BACK]   [TOP]  [NEXT]