10.

Ψ Ψ Ψ

「ユゥアさん、遅いですねぇ・・・」

 スカッチャーの屋敷の周りで、中の様子を伺っていた群青の神官・・・・・・オルフィウス

は、小さくそう呟いた。彼は屋敷の監視カメラに映らないよう、少し離れた場所を歩き続け

ていた。

 予告状を送られた屋敷の主たちの取る行動は、主に2つのタイプに分けられる。屋敷の外

にも中にも相当数の警備兵を配置して警戒するタイプと、外には警備兵を置かず、屋敷内

のみに配置するタイプである。なぜ2つに分かれるのか・・・。

 一見すると、内外に警備兵を配置させた方がいいように思える。確かに、それだけ監視の

目が光るわけだから、安全なのには変わりない。だが、その分周りの住人や野次馬の目

につくため、プライドの高い貴族達は物々しい警戒態勢を敷いておきながら盗まれてしまう

というような事態に耐えられないのだ。予告状についても、人々に知られないようにするた

めに、破り捨ててしまう者もいるほどだ。そうした人々は、国に頼ることなく自分の身は自

分で護るべく、雇っている護衛の者たちのみを使い屋敷内で警備をさせるのだ。今回のタ

ーゲットであるスカッチャーも、そういった人間の一人である。現に、屋敷の周りには、オル

フ以外誰も人がいなかった。

「・・・おや?」

 屋敷の玄関から少し離れたところ・・・おそらくは裏口なのだろう・・・で、なにかが動く気

配をオルフは感じていた。勿論ユゥアではない。明らかに動揺を含んだ気配だ。それも、

複数ある。

「おい、お前。そこで何をしている」

 状況を伺っていると、突然厳しい詰問口調で後からそう声を掛けられた。オルフが振り返

ると、後ろには警備兵が数人佇んでいた。

 国が定刻に見回りに出している、警備兵だ。鋭い視線を軽く受け流しながら、オルフィウ

スは、にこやかに質問に答えた。

「何って・・・・・・勿論、散歩ですよ」

「こんな時間にか?」

「ええ。気持がいいですよ、夜の散歩というのは」

 なんの戸惑いも見せずにそう返すオルフに、警備兵は返って不信感を募らせたようだ。

「一応、身分証明書を見せてもらおうか」

 国民には、身分証明書・・・IDプレートが必ず渡される。身分証明書はいつ何時でも身に

つけなくてはならず、それがないということは勿論国民ではないということを示した。

「私は、持っていませんよ」

 その答えに、警備兵はオルフをにらみつけた。

「お前は・・・バルバロイか?バルバロイは、国には入れないはずだ。答えろ、何をしにこ

こに来た!」

 ふう、とため息をついて、ずれた眼鏡を人差し指で上げるオルフ。眼鏡から覗くその視線

が、一瞬鋭いものに変わる。

「・・・余計なことは、知らないほうがいいですよ」

 いぶかしげな視線を送る警備兵達に、彼は低く告げた。彼の双眸の青い輝きが、レンズ

の向こうで増していた。

「でないと、己を滅ぼすことにもなりかねませんから、ね」

 薄く笑うオルフの双眸から、青い輝きが満ちる・・・。


 いったい何が起こったのか。

一瞬のうちにして、彼の目の前にいた警備兵達は崩れ落ちていた。どの兵達も、気を失っ

ている。ある者は死んだように顔面蒼白になり、またある者は穏やかな寝顔を浮かべてい

た。中には、よほど恐ろしいものでも見たのか、白目をむいたまま泡を吹いている者もいる。

 これが、オルフィウスの特殊能力である”眼力”である。

視線を合わせた者の意識に直接侵入し、イメージを植えつけることができるのだ。

「ふう・・・。記憶の方は抹消させていただきました。では、ごゆっくりお休みください」

 何事もなかったかのように、またもとの穏やかな表情に戻って呟くオルフ。そう、現場で白

銀の怪盗の目撃情報がないのは、その相棒である神官オルフィウスの暗躍によるものな

のだ。

 ふと、オルフは何者かの気配を感じて背後を辺りを振り返った。今の光景を、見られてい

たのだろうか。一瞬、彼の体に緊張が走る。気配は徐々に彼から離れていった。

 そっと、オルフは気配の方向へ歩みを進めた。ちょうど、屋敷の裏口の辺りである。

相手を刺激しないように、そっと角から顔を覗くと、ほっそりとしたシルエットが街灯に浮

かび上がった。目を凝らしてよく見ると、体つきから女性だということがわかった。

ウェーブのかかった長い髪を、後ろでポニーテールに結わいており、それが薄い生地の

ドレスの腰の部分にまで達している。身なりはかなりよい方だ。おそらくどこかの貴族

なのだろう。

しかし、散歩をするには時間が遅すぎるし、護衛を侍らせているわけでもない。いっ

たい、何をしに来たのだろうか・・・・・・。

 なにか助けが必要ではないかと、そっと女を見守るオルフィウス。対して女は、オルフに

気がつく様子もなく、そのままスカッチャーの屋敷の裏口へと歩みを進めていた。



* * *

「・・・・・・うっ」

 なぜだか体が重かった。

体を動かそうとすると、全身がぎしぎしと痛む。いったい、なにがあったのだろう。

目の前に、血の付いた短剣が転がっていた。それを見て、何があったのかを秋子はぼん

やりと思い出していた。

―――”狩り”に、あったのだ。

信じていた仲間に、突然裏切られた。

 夕食を済ませ、警備に当たるまでの短い休憩時間に、仲間と屋敷の脱出計画について

屋敷の裏口近くで相談していた時だった。背後から誰かが殴りかかり、振り返ったところ

を周りにいた仲間から暴行されたのだ。

 おそらく、そのあとすぐに屋敷内の警備に行ってしまったのだろう。意識を失う寸前に、ス

カッチャーのアナウンスを聞いた覚えがあった。

「早く、ここから離れないと・・・」

 喉の乾きに、声がかすれた。なんとか起き上がろうとして、両腕に力を入れた。今はいっ

たい何時なのだろう。早くここから離れないと、警備を終えたアルビノたちがいつまた戻っ

てくるとも限らない。今度こそ確実に、息の根を止めるために・・・・・・。


―――こつ・・・こつ・・・

その時だ。

軽い足音が、徐々に秋子の背後に近づいてきていた。耳を済ませてみると、一人分の足

音だということがわかった。アルビノの一人が、戻ってきたのだろうか。

近くにあった短剣に手を伸ばして、血糊が付いているのも躊躇わずにつかんだ。なんとか

して、やり過ごさなければ・・・

足音が止まった。

 傷と打撲による痛みに耐えながら、アキは足音の主を振り返った。だが・・・

目の前にいた人物は、とても悲しそうな顔をしていた。屋敷にいるアルビノではない。後ろ

で結ったウェーブのかかったブロンドの髪が、そして白い肌に映える紫の双眸が、とても

綺麗だと思った。どう見ても、女性である。歳は、30歳は過ぎているだろうか・・・・・・。

 悲しみをたたえた双眸が、秋子のことを哀れんでいた。

なぜ、こんなところに・・・それに、いったい何者なのか、と言おうとして彼女は、この人物

が”白銀の怪盗”ではないかと思いついた。だが目の前の女は、逃げる素振りをするどこ

ろか、アキにゆっくりと近づいてきた。

「ここに、いたんですね。・・・・・・早く、逃げて」

 女はナイフを握り締めたままのアキの傍にひざを付き、何のつもりかそっとアキの肩に

触れた。間近に女の顔を見て、アキはその顔にどこか見覚えがあると感じた。細い彼女の

息遣いを感じる。

「・・・・・・早く」

 さっと手を引いた女は、そのまま逃げるように音もなく走り去ってしまった。

「逃げろって・・・」

 立ち上がろうと四肢に力を込めて、彼女は体の痛みがすっかり消えていることに気がつ

いた。今の女が、肩に触れたあの一瞬でやったというのだろうか。

秋子は困惑するばかりだったが、考えていても仕方がなかった。とにかく、誰も近くにいな

い今がチャンスなのである。

 屋敷の裏口近くの控え室に、秋子はそっと脚を踏み入れた。片手にナイフを握り締め、い

つでも襲いかかれるように体勢を整えた。初めの計画では、裏口近くの控え室に集合す

ることになっていたのだ。そして仲間の一人が、怪盗の出現のそのどさくさに紛れて屋敷

内の電気を落とし、首輪の制御が利かなくなったその一瞬の隙に、逃げ出す予定だった

のだ。

 それまでは、他のアルビノに気が付かれないよう、停電が起きるまで控え室の物陰で待

たなければならない。だが、おそらくそれほど時間は掛からないだろう。いままでここで過

ごしてきた時間と比べれば、遥かに短いのは明らかだった。

緊張した面持ちで、アキは控え室の様子を伺っていた。






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