| 2. あと少しで届く、手が触れる直前・・・・・・ 突然掛けられた声に、だが伸ばされた彼女の手は引っ込められた。 てっきり一人でいるつもりだった秋子は、驚いて後ろを振り返る。 「死体がそんなに珍しいか・・・?」 死体に気を取られていて、他の人がいることなど、まったく気がついていなかったのだ。 掛けられた声は、まだ若くてやや低く、落ち着きがある。その主はすぐに見つかった。 秋子の後ろにある瓦礫の、少し窪んだところ・・・・・・そこに、その人は座っていた。 こげ茶色の髪が、長く肩に掛かっており、肩幅も狭い。・・・女の人、だろうか。 奇妙なのは、その服装だった。秋子がいつも着ているような服とは、デザインが違う。ま るでカウボーイの時代に戻ったかのようだ。ヴィンテージものに近い状態の革のショートジャ ケットに、厚地のパンツ、それに履き慣らされたロングブーツ。いくら古着が流行っているとは 言え、ここまで揃えたら物好きか何かの劇だと思われても文句が言えない。 「・・・貴女は?」 こんなところでいったい何をしているのだろう。 「私の名はデルタ・・・・・・傭兵をしている。ここはロストだ」 簡単な自己紹介をした・・・恐らく”彼女”は、それだけ言うと黙ってしまった。秋子とは対照的 で、他人が何者なのかということについてはまるで興味がないようであった。それ以上は何も 言わず、聞いてくる様子もなかった。 まじまじと、デルタという目の前の女の様子を秋子は見てみる。デルタは、やはり秋子につい ては特に興味がないようだった。冷めた眼差しで、秋子と・・・・・・おそらくその後ろの死体を見 つめている。 ふと気がついて、秋子は彼女の最後にいった言葉を復唱した。 「ロスト・・・?」 何処なの、それは。 そう復唱してみて初めて、秋子は自分が知らない場所にいることを意識した。 そんな名前の場所は聞いたことがないし、いかにも寂しげな名前だ。あまり、長居をしたいと 思う場所ではない。もしかすると、自分は何か大変なところに着てしまったのではないだろう か。 ・・・・・・いやそれにしても、ロストとは、なんとこの地にふさわしい名前なのだろう。 「・・・そうだ。だがら、ここを動いた方がいい」 どうやらここは彼女にとってもあまり長居はしたくない場所のようだった。なら、どうしてここに いるのか、と思わず問い返したかった秋子だったが、ごく簡単な・・・素っ気ない答えしか返って こないような気がして、聞き返すのを止めた。 彼女は落ち着いた様子でそう言いながら、立ち上がった。立ち上がると、彼女の服装はます ます合っていなかった。華奢な体躯に、カウボーイの古着はどう見てもミスマッチである。 だがそんなことは気にせずに、服の裾の埃を軽く叩くようにすると、デルタは歩き出した。まる で、付いてこいと言わんばかりに。 何故、彼女が自分にそんな忠告をしてくれたのかは分からなかったが、置いて行かれまいと、 秋子は不思議ないでたちの彼女を追った。 見渡す限り、はっきりと建物としての形を持つものがなかった。どこを見ても、建っていた当時 の外形を想像することができない。木造の建物の跡がほとんどないことから、どうやら、都心に よくある少し高級な繁華街か・・・あるいは、オフィス街だったのかもしれない。歩みを一歩ずつ 進めるたびに、足元で踏んだ何かの破片が乾いた音を発した。吹いてくる風は埃っぽいし、目 に痛い。 いっそ、ここまで崩れているのなら、すべてが塵となってしまった方が、よっぽど清々しいだ ろう。この中途半端さは、後味の悪さのようなものを感じさせた。 デルタはここに慣れているのか、足下の悪さなど気にせずに、軽々と秋子の前を歩いていく。 「貴女は、ここで何をしているの?」 言葉に詰まったのか、それとも聞こえなかったのか、少しの間を置いて彼女は答えた。 「時々、お前のような者を、案内している」 初対面なのに、お前呼ばわりするなんて・・・・・・そう思った秋子だったが、考えてみれば、ま だ自分の名前を名乗ってはいなかった。それは、少し失礼なことだ。 「私は秋子よ、来栖秋子」 秋子の言葉に、デルタは急に足を止めた様に思えた。・・・だが、それは一瞬のことだった。再 び一歩前へ踏み出すと、僅かに彼女のことを振り返った。彼女には、何か気になることでもあ ったのだろうか。 「秋子・・・・・・」 呟いた言葉は小さ過ぎて、秋子の耳には届かない。 しばらく歩いて、唐突に彼女は足を止めた。 「・・・どうしたの?」 緊張した様子で、辺りを伺っているように秋子には見えた。思わず彼女も、デルタの視線を 追って辺りを見回した。 「ここにいろ・・・・・・」 短くそう告げて、彼女は身構えた。と、同時に、聞こえた物音にそちらを見てみれば、いつの 間に現れたのか、数人が二人を取り囲むようにして瓦礫の上に立っていた。格好は、やはりデ ルタのそれに似て異質な・・・だが動き易そうな服装である。 彼女は一歩踏み込むように、体を前に傾け・・・たかと思うと、あっという間に現れた人影に向 かって跳びかかっていった。そして、あまりのことに秋子が瞬きをした次の瞬間には、すでに一 人が膝を折っていた。突如、デルタが秋子を振り返る。 「・・・・・・伏せろ!」 誰に対しての言葉なのか突差に判断ができなかった秋子は、立ち往生してしまう。すると、 足元の近くで小さく煙が上がった。・・・銃を撃たれたのだと、彼女は気が付いた。 慌ててその場から逃げようとしたが、身動きしたその時に左脚に激痛が走った。耐え切れ ず、前に掛かった重心のまま彼女はうつ伏せに倒れ込んだ。強い痛みに、意識がどんどん遠 くなる。 「アッコ!」 掛けられた声はデルタのものだろうか。それ以上何も考えることが出来ずに、彼女は意識 を失った。 「・・・・・・夢?」 開いた秋子の目の前には、見覚えのある薄暗い天井があった。 無意識のうちに左脚に手が伸びる。脚はパンパンに張っていた。・・・・・・どうやら、吊ってい たらしい。そう言えば、昨日はプールだったんだと、秋子は思い出した。脚をさする左手の感覚 に、彼女ははっとした。そう言えば・・・撃たれたのだ。自分は、夢の中で。 徐々に遠ざかっていく夢の記憶を、撃たれた記憶から引き寄せようとした秋子だったが、努力 は叶わなかった。 そのまま呆然と天井を見つめていると、やがて、机の上の目覚まし時計が起床を告げた。 「アッコ〜、起きたの〜?」 そしてその時、下の階から、まるで目覚まし時計と共演しているかのようなタイミングで、 母親に呼びかけられた。秋子の意識が現実へと戻ってきた。 そう言えば、今日は日直で、早く行かなければならなかったのだ。 ぼんやりとした頭を軽くゆすって、彼女はベッドから下りる。目覚まし時計を止めながら、学校へ 行く支度を始める秋子の頭に、もう先ほどの夢の記憶は残っていなかった。 |