第1部 銀幕、上がるとき



1.

 たとえて言うならば、その場所の色は灰色だった。

先ほどまでいた場所を純白と表すならば、ここは灰色に染められた景観であった。

灰色、などと言うと薄汚れたイメージを持ってしまうかもしれないが、決してそういった

意味ではない。

 真っ白でも、黒でもない。そして、他の七色が持つ鮮やかさもない・・・・・・。

・・・・・・透明感もないが、ある意味もっとも透明に近い色。それが灰色。

透明というものに敢えて色を着けるとするならば、きっと灰色こそがもっとも適してい

るのかもしれない。

何もない、意味をなさない、虚しさ。果てなく広がり、終わりが見出せない。


灰色・・・・・・それは彼女の心の中をもっとも適切に表している色でもある。


彼女は、今度はそんな世界に一人、放り出された。

けれども彼女は、何の違和感を感じなかったのだ。それは、これが夢だと感づいていた

からなのだろうか、それとも・・・?



* * *

 ふと気がつくと、秋子は一人立って空を見上げていた。

鉛色の重そうな雲の塊が、延々と続いている空を。

 頬になにかが張り付いたような違和感があったが、触ってみても特に変わったところはない。

視線を落としてみて、ようやく彼女は、今いる場所が自分の知らないところだということに気が

ついた。・・・・・・一言で・・・あまりにも簡単な言葉で言えばそこは、廃墟、だった。

 周囲には、倒壊した建物群がどこまでも続いていた。とは言っても、ほとんどが細かい破片と

なって地面に散らばっている。歴史の教科書やテレビで見た、空襲にあった都市の写真が思

い返された・・・が、それは現実を伝えるにはあまりにも拙いものであることが理解できた。

 ここには何一つ、元の状態で建っているビルがない。あるのは・・・というよりも、目立つのは

中途半端に崩れたコンクリートや大理石の大きな塊だ。地面からまだ垂直に伸びているものも

あれば、傾いて今にも倒れそうなものまで様々だ。それから他に近くに見えるのは、僅かにガ

ラスをとどめて曲がった窓枠や倒れた電柱とおぼしき灰色の柱の残骸。割れたガラス片は散ら

ばって、沈んだ銀色の色彩を放っている。

 辺りが暗く沈み込んだように感じたのは、明かりが太陽の他に何もないことと、その唯一の光源

である太陽が、分厚い頭上の雲により阻まれているためなのだろう。それが、色褪せた街の遺物

とともに、秋子を中心として四方八方へと続いているような錯覚を覚えた。

「・・・・・・・な・・・に?」

 ここでようやく、秋子は声を発した。誰もいないために声が自分の耳によく響いて、それで一層

周りの風景の寂しさを引き立てる。・・・ふと、秋子は気がつく。ここには、音が、ない。髪を揺らす

風でさえも息を潜めて立ち去っていくかのように、静かだ。



 人影は、秋子の他には見当たらなかった。


ここはいったい、どこなのだろう・・・・・・。

まるでつい先ほど大規模な襲撃があり、自分一人が無傷で生き残ったかのようだ。

 やがて、ここで呆然と景色を眺めていても仕方がないことに秋子は気がついた。何も起こりそう

にないからこそ、何かが起こるのではないかと言う漠然とした期待もあったが、秋子はとりあえず

辺りを歩いてみることにした。先ほど消えてしまった少女のことも気になった。

 足元はかなり悪かった。気を抜くと、何かに蹴躓きそうだ。それでもなんとか少し歩いて大きな

道幅のところに出ると、秋子の周囲は少しだけ見通しが良くなった。確かにそこは、かつてはコン

クリートで舗装された道であったのだろう。やや幅の広い道は、逸れることはなくまっすぐに伸びて

いる。・・・ここをまっすぐ行けば、どこかへたどり着けるのだろうか?

視線の先にある景色は、遥か遠くに続く雲のところで霞んで見える。

 左右に瓦礫を見ながら、秋子はその道を気が向いたほうの方向にまっすぐに進んだ。


 いったい、ここで何があったのだろう。そして、ここはいったい何処だろう?

そんなことを考えてみた秋子だったが、心は落ち着いていた。それは、この場所があまりにも現実

とかけ離れているせいで、今置かれた状況を深く考えることができず、心がただ受け入れている

からなのだろう。


 しばらく歩いて、秋子はふと、前方の建物の影に人影を見つけた。特に人恋しいと言うわけで

はなかったけれども、こんなところにどんな人がいるのかという好奇心から、秋子は慎重に近づい

ていった。

 彼は・・・多分、体格から男性だろう・・・壁に寄りかかって座っているようだった。こちらに気

が付かないのか、それとも疲れや怪我で動けないのか、身動き一つしない。どうしたのかしら。


 少し秋子は近づいてみて、彼女は違和感を覚えた。慎重に歩いているとはいえ、かなり危なっ

かしい足取りで歩いている。歩くのに音が立たないわけはない。・・・しかし彼は、興味がないの

か、はたまた眠っているのか、こちらに気が付いている様子がないのだ。


 彼のいる場所まであと20歩くらいのところまで近づいて、秋子は彼の様子を詳細に見ることが出

来た。そもそも座っている格好が、不自然だった。片腕が、普通ではありえない方向に曲がって

いる。そして数歩のところまで近づいて、ようやく彼がすでにこと切れた人間だと言うことに秋子

は気が付いた。

 瞳の光は消え、うつろに鉛色の雲を映している。中途半端に開いた口元は、もはや意思を持っ

て閉ざされることはない。肌の色は、色白、というよりもむしろ青白く、蝋人形を思わせた。

けれども・・・特に目立った傷がないためか、秋子にはそれがあまり怖いとは思えなかった。もし

かすると、”死んでいる人”、というよりも、単なる”もの”という感覚で捉えていて、恐怖心が煽ら

れなかったからなのかもしれない。

すっと・・・深い考えもなしに、すっと、彼女は”それ”に手を伸ばした。


・・・・・・・・・ああ。


生気のない肌、景色の素通りする瞳、何も受け取ることの出来ない心・・・。


知らない顔つきだったが、どこか親しみを感じる。

触れようと、秋子は手を伸ばす。好奇心があったわけではなく、ごく自然に手がそう動く。

まるで、動かないことを確かめでもするかのような動作だった。






[BACK]   [TOP]  [NEXT]