9. 二人にかかっていた術が解けたのは、暗い通路をちょうど抜けたところだった。 目の前には、木々が生い茂っている。 どうやら二人が着いたのは、メーレンの南に広がるイジュンという森のようだった。 山脈を挟んで気候は変わり、空気は少し乾燥している。 「うまくいったみたいだね。イジュンだ。」 術が切れたときに体勢を崩して打った膝を摩りながら、レイドは後ろを振り返った。 後ろにはやはり異空間へ入り口が口を空けている。 少し遅れて、ヴェレヌがレイドの眼前に現れた。 「ヴェレヌも無事に着いたみたいだし、早いところメーレンに向かおうか。」 レイドを先頭にしてしばらく樹々の林立した道なき道を歩いていくと、人通りのまばらな街 道に出た。 「メーレンへ行ったことがあるんですか、レイドさん。」 あまりにもすんなりとメーレンへ続く街道へ出ることができたので、シェルファーナはそう 思わずにはいられなかった。 「・・・うん、まあ・・・ね。」 歯切れの悪い返事に、彼女は首を傾げたが、レイドはそれ以上は何も言わなかった。 道はなだらかな下り坂で、両側から日差しをさえ切る樹々の枝が風に揺れていた。 ラインハルトを出てから感じることのなかった、ゆるりとした時の流れ。そしておそらくは、 束の間のひととき。けれどもシェルファーは、こんなときだからこそ大切にしたいと思った。 吹き上げられた前髪を押さえながら、ふと彼女は隣を歩く神官を見上げた。 この人は何を思っているのだろう。何を感じているのだろう。初めてあったときも今も、そ の表情は少しも変わっていない。見つめる双眸は、 静寂の続く深海を思わせる。あの瞳 は、いったいどれほどのものを彼に見せてきたのだろう。 それに比べて自分は・・・・・・ あの部屋にいたときに、鏡で何度か見た自分の姿。 若草色の髪、薄紅色の唇、・・・そして琥珀色の瞳。 前に、部屋の掃除をしてくれていた女の人がこう言ってくれた。 「お嬢様の瞳は、本当にお綺麗ですね。」 ・・・それはきっと私が何も見たことがないからなのだろう。そして何も汚いものを見たこと がないこの目は、澄んでいるのでも濁っているのでもない。それとはまったく次元の違う ものなのだ。 ―――私も、あんな瞳を持ちたい。だから、もっともっと、いろんなものを見たい。 自分が旅をする目的を見つけ、ちょっとした充実感に浸るシェルファーナだった。 まだ陽の高いうちに、三人はメーレンに着くことができた。 町の中に入って、まず目に飛込んできたのは、一面の白。 「わぁー!」 シェルファーが声をあげるのも当然。メーレンの家々の壁は、全て白塗りであった。 それが遠くに見える海の碧い色と合間って、なんとも言えない独特の風景を描いていた。 「素敵なところですね、レイドさん。」 「そ、そう・・・かな。」 やはり歯切れの悪いレイドの言葉に、シェルファーは首を傾げた。 「どうしたんですか?・・・あ、長旅で、疲れてるんですよね、ごめんなさい。」 「いや、そんなことはないんだけど―――」 レイドが、誤る彼女に手を振って否定したそのときのこと。 「・・・レイドちゃん?レイドちゃんじゃないの!?」 後ろから発せられたその大声に、彼の肩がびくりと揺れた。 「知り合いですか?」 シェルファーには答えず、長い溜め息を吐きながら振り返る彼の視線の先には、白いエプ ロンを身に付けた女の人がいた。 ・・・といっても、レイドより随分年が上のようだったが。 「なに、帰って来るんだったらそう手紙を寄越してくれれば、旦那様が馬車でお迎えしてく ださったでしょうに。」 「いえ、それには及びません。」 女は、レイドを懐かしそうに見つめ、そして彼の横にいるシェルファーナたちを見て微笑ん だ。 「・・・まあ、坊ちゃんもそんなお年頃になられたんですね。名前はなんて言うんです?」 突然の女のその言葉に、三人とも呆然としていた。 「お、おばさん、別にそういうわけじゃあ・・・」 言いにくそうにしているレイドを、ヴェレヌがフォローした。 「挨拶が遅れて申し訳ありません。私はレン=ディグラー、こっちは腹違いの妹のシエル と言います。旅の途中にレイド殿に助けて頂いて、ここまで一緒に。」 神官の即席の作り話に、一瞬目を点にしたレイドだったが、今はそんなことを気にしてい る場合ではなかった。 「ちょうど行き先が一緒だったから・・・レン達とは。」 レイドは名前を言い間違えないように気を付けて、ヴェレヌのあとを続けた。 「なんだ、そうだったんですか。私はてっきりレイドちゃんがお嫁さんを連れてきたものだ と・・・・・・本当に違うのかい?」 「―――違うよ。」 しつこく問い返す女を、彼はそう切って捨てた。 「・・・それじゃあ、私は先に家に戻って皆さんの部屋を用意しておきますね。では。」 ヴェレヌとシェルファーに軽く一礼すると、彼女はそのまま雑踏の中に消えた。 「・・・ヴェレヌ、作り話うまいな。まさかとは思うけど、神官戦争も作り話だったとか言わな いよね?」 「くだらないことを言うな。それより、今のは?」 「・・・・・・ああ、うちのお手伝いさんだよ・・・5,6年前からずっといるみたいだ。」 疲れたような声で、レイドは言った。 「それはそうと、ここでは真の名を言わないことだ。」 「・・・わかったけど、あまり変わってないな。」 ヴェレヌはレン、シェルファーナはシエル。頭のなかで繰り返しながら、彼はそう思った。 「その方が呼ばれたときに戸惑うことはない。呼ぶ方も呼びやすいだろう。」 「・・・まあ、そうだけど。けど、メーレンに長居していいのか?俺は実家だから、お尋ねも のの噂が回ってもなんとかなるけど、シエルのことまではフォローできないよ。」 「・・・定期船は、どのくらいの間隔で出ているんだ?」 「だいたい、二日に一度だ。けれど、遅れることもある。」 その言葉に、神官は眉を寄せた。 「・・・まあ、なんとかなるだろう。」 「それじゃあ、船を見に行くついでにメーレンの町でも見てみるか?シエル。薬草くらい揃 えておかないと、旅の途中には見えないからな。」 「はい、レイドさん。」 |