シリウス 番外エピソード2 「――黒爪、召喚」 3. その夜。酒場では、昼間の勝負のことで、イディアの仲間たちが盛り上がって いた。…そう、仲間たち、である。 当の本人は、大好きな豚々焼きに箸も伸ばさず、目の前のナッツをちびちびと食 べていた。 そこに、向こうでバカ騒ぎをしていたヴェルガーがやってきて声を掛ける。 「随分盛り下がってるな、ディア。せっかくの豚々焼きが放置されたままだぞ」 「…うん」 彼女がここまで元気がないのは珍しい。 「そんなにしょげるなよ。最初から勝てっこないって、解ってただろ?」 「…うん」 「だったら、なんでそんなに落ち込む必要があるんだ?アイツはお前よりもずっ と歳を取ってるんだ、お前なら、これから頑張れば追い越せるだろ」 ナッツに伸ばしかけた手を止めて、イディアは少しずつ話始めた。 「そうじゃ、ないの」 「何が」 怪訝な顔をして、彼はグラスのウイスキーを煽った。 「…怖いって、思った。…思っちゃった」 「デルタのことが、か?…それともあの、デルタの召喚獣か?」 「デルタが、光と闇の元素を使ってたこと…それが、怖いって思っちゃったの」 釈然としない顔のままのヴェルに、彼女はそれらが禁忌であることを話す。 そして、最後に付け足した。 「…でも、本当はそんなこと思っちゃった自分が、一番情けなくて悲しいの。だ って、彼が光の属性者だって解ってて、それの上で勝負を頼んだんだから。 今さらそれを怖がってどうするの?…そう思って、すごく自分が情けないのよ」 ヴェルガーは、無言で豚々焼きののった皿を彼女の前につき出した。突然 のことに、面食らう彼女。 「…ちょっと」 「いいから食え」 「そんな気分じゃないって――」 イディアの言葉半ばに、彼は続ける。 「ここでいつまでも後悔してたって、思った事実は変わんねえよ。思っちまっ たのは、お前が未熟だからだって、分かってるんだろ?」 「けど」 「だったら…ぐずぐず後悔しないで、反省したら忘れろ。反省したことさえ忘れ なかったら、もうこんな後悔はしないだろ!」 …その通りだ。少々強引ではあるが、決して間違ってはいない。 まだ気持ちの整理は着かないけれど、いつまでも後悔をしていても仕方がない のだ。前へ、進まなければならない。…自分がまだまだ未熟だということが分 かった今だからなおのこと。 イディアは、豚々焼きにフォークを伸ばした。 「今日はマスターの奢りだからな、冷めちまってるならもう一皿頼んじまえよ」 「うん、そうする。…でも、これは上げないからね」 いつもの調子に戻ってきた彼女に、へいへい、と返事をしながら再びヴェル ガーはカウンターの仲間のところへと戻っていった。 その後ろ姿を、彼女は目で追う。昔からそうだ。真面目なことが嫌いで、軽 口と口喧嘩はしょっちゅうのこと。気分屋で、馬鹿力と俊敏さだけが取り柄の… 幼なじみ。 だが。いつもそうだった。そんな腐れ縁にも似た間柄の彼に、幾度も励まされ てきた。…彼にはそんなつもりはないかもしれないが。 再び馬鹿騒ぎを始めたヴェルガーにいつものように呆れた視線を送りながら も、イディアは緩く笑みを浮かべた。 夕食時には戻ってくるはずであったデルタが酒場の戸を開けたのは、馬鹿騒 ぎに疲れた人々が各々の定位置で寝息をたて始めた頃だった。 イディアといえばお茶のグラスを片手に、今日の反省と称して取り敢えず“実 戦のための召喚の書”を読んでいた。だから、最初に彼の来訪に気が付いたの は、カウンターで片付けをしていたマスターであった。 「デルタさん、いらっしゃい」 「ダークラムと、クラッカーを頼みます」 その声を聞いて、ようやくイディアは気が付いた。慌てて本から顔を上げると、 立ち上がって彼のいるカウンターに駆け寄ろうとした…が、当のデルタに、制せ られた。 立ったまま様子を伺っていると、やがてグラスと、野菜やハムなどに彩られた クラッカーを載せた皿を手にした彼が、イディアの方へと歩いてきた。彼女は慌て てテーブルの一部を空ける。 「お待たせしてすみませんでした」 立ったままの彼女に、デルタはそう詫びる。イディアは、そのまま頭を下げた。 「先ほどは、申し訳ありませんでした」 デルタは席についたが、料理にも酒にも手を出さずにただ彼女を見つめて先 を促した。 「本当に申し訳ありません。制御も出来ない魔物を呼び出し、それを相反属性 の貴方に倒してもらうなんて…。…それに」 言葉を切った彼女は、大きく息を吸った。 「…貴方を…貴方のことを…」 そこから先を言うのはよほど躊躇われるのだろう、何を言いたいのかに気が 付いたデルタは、皆まで言わせる前に彼女にも席につくように促した。 「だけど…私は」 「貴女が反省していることは、分かっていますから…」 そう言って、彼はクラッカーを食べ始めた。まだイディアは何かを言いたそう ではあったが、彼の…これ以上この話に興味がないといった態度に、ようやく 腰を下ろした。けれども、なんとなく気まずくて、彼女はどう話を始めればよいの か迷い、じっと目の前の本を見下ろして口を閉ざしていた。 するとクラッカーを食べながら、デルタがイディアの前に伏せられた本を示し た。 それは教科書だ…と答えようと視線を上げて…その、示した彼の右手に揃っ た黒い爪に、一瞬イディアは驚き言葉に詰まった。…今まで、まったく気がつか なかったのだが。 「その本も、ケーシー・カイザークが書いたものですか?」 答えない彼女に、再度デルタが問う。爪に気を取られていた彼女は、つい反 応が遅れてしまっていた。 「あ、えっと…はい、私たちが使っている大抵の召喚術の書は、先生が書いた ものです。…あ、カイザーク先生は、私の学園の先生で…召喚術の第一人者と 言われる術者です」 イディアの答えに、片眉を上げて本に手を伸ばした。 「第一人者…ねぇ」 「なんだ、大先生に嫉妬か?」 ページを次々と捲って書を飛ばし読みを始めたデルタを、いつの間に起きて いたのか、ヴェルガーがからかう。イディアは、再びページを捲る彼の手の、黒 い爪に引き付けられた。 「大したものですね、まったく…」 呟きながら書を読む彼の表情は、だが口調とは裏腹に険しい。そのまま、あっ という間に書の中程まで読み進めて、唐突に彼は口を開いた。 「…爪が、そんなに気になりますか」 それは、明らかにイディアに向けられた問いである。はっとして、彼女は口を閉 じた。 そう言えば、昔どこかで聞いたことがある。…悪魔の契約者は、黒い爪を持つ …と。悪魔…ならば、闇の属性のはず。 「まあ…いずれ分かることですから…声ぐらいはお披露目しても、いいんじゃな いですか、クロウ?」 緩く笑みを浮かべて、デルタは言う…いや、何者かに問いかけたようだ。 クロウ…どこかで聞いた…イディアが思い出したのは、昼間の戦いのときに彼が 呼んだ…召喚した魔物の名前だ。 …だが、いったいどこにいる? 問いかけに答えはない。…気配がしないことといい、やはりいないのではない だろうか?やれやれ、といったように、デルタはクラッカーを口に放り込んだ。 「シャイな魔物を振舞うのもいいですが、化けの皮はすぐに剥がれるものです よ?…素が化け物なら、なおさらです」 再び独り言…よりも大きな声で何者かに向けて話すデルタ。本当に、こんなと ころにあのファフニールを倒し得た魔物がいるというのだろうか? きょろきょろと辺りの様子をイディアが伺っていると、まもなく憮然とした低い声 が辺りに響いた。 「――化け物とは心外だな」 「…化け蛙、の方がよかったのですか?」 「普通に呼べ」 その召喚主と召喚獣のやり取りを聞いて、身構えていたイディアは拍子抜け してしまう。…あれほどの強さの魔物に対しこんなに砕けていてよいのだろう か。 「…これが、クロウの声です。私が先ほどの戦いで召喚したのは、覚えていま すよね」 「ええ…姿は見えなかったけど」 姿なく、声だけが在るクロウと呼ばれる魔物。 なぜ、姿が見えない…いや、もしかすると、見せていないだけなのか。 「頭部や爪は見せたつもりでしたが…まあ、あの距離では見えませんか。全身 召喚は、疲れるので滅多にやらないんですよ」 全身召喚…いったいなんだろう、それは。召喚には、すべての姿を呼び出す 以外にどんなものがあるというのか。 イディアの戸惑う表情を見て、デルタは付け足した。 「…まあ、こんな召喚方法を使う人は、滅多にいませんが。クロウの場合は少 々契約の形態が特殊ですからね、こういうことができます」 「契約…」 「そう、契約です」 イディアの反芻に、デルタは強調するように繰り返す。 「召喚には、二つの方法があります。一つは、まったく知らない魔物や精霊を呼 び出すもの。もう一つは、契約した存在を呼び戻すもの」 そうだ、それは知っている。教科書にも書いてあった。イディアは面識のない ファフニールを呼び出した…契約を、交わすつもりで。 「見ず知らずの…それも、強力な魔物を召喚するのは、非常に危険です。制御 できるだけの力があれば別ですが、初めて相対する魔物がどんな性格なのか はまったくわかりませんからね…」 それについては、書ではほとんど触れられていなかった。呼び出すときの注意 はほと細かに説明されているのに、喚んだ後のことは書かれていない…それが 意味することは。 「呼び出された方にも、機嫌や相性がありますから…当然、戦いになることも 考えておかなければいけないんですが…彼の書いた本には、それについて言 及されていないんですよ」 「でも…先生は召喚術の権威って言われるくらいだから…きっと上級者向けの 他の本には、書いてあるはずよ」 イディアの反論に、デルタはクラッカーを持っていた手をはたいて、懐から一冊 の本をテーブルに放った。表紙には、“儀式召喚術”とある。 「これもどうやら彼の本のようですが、こちらにもありませんでした」 イディアはその本を手に取り、ページを捲る。…途端、彼女は目を見開いた。 ――ページに赤く書き込まれた…無数の指摘を目の当たりにして。 「まあ、それ以外にも、この本には問題がありましたが」 さらりと言う彼の言葉を遠くに聞き流しながら、彼女はページをパラパラと捲る。 …赤文字のコメントは、目次以外のほぼすべてのページに連なっていた。…そ ういえば、これは前にイディアの貸した本ではなかっただろうか。 「しかし…これで第一人者を名乗るのは…。まあ、考え方としては三通りありま す。一つは、そのような強力な魔物を喚ぶ必要性が、今の時代にはないこと。 だから、あえて書く必要がない。二つ目、自分には力があるので、力でねじ伏せ ればそのようなことを気にする必要がなく、書く必要があるとは思わなかった。 そして一番考えたくない三つ目、彼は強力な魔物を呼び出したことがない。だか ら呼び出した後のことが分からない」 デルタの仮説に、イディアとヴェルガーは顔を見合わせた。 「私の考えでは、三つ目が真実のような気がしますが…あまりあり得てほしくは ありませんねぇ」 イディアは…1か2のどちらかだと信じたかった。先生が間違っているなんて …。そう考えて、彼女ははっとする。この旅に出たきっかけは何だ。 学園での良からぬ噂。消える卒業生…必ず、優良生は、卒業後に消息が途 絶えてしまう事実。卒業式の前日に、生徒が立ち入り禁止となる、精霊の間。そ こから上がっていた…イディアの耳に届いてきた、先輩の悲鳴と何かが吼えるよ うなお音、そして――。 その後、何食わぬ顔で部屋から出てきた、先生たち。 その謎を追ううちに、自分たちが追われる身となっていた。 「まあ、そのうちに分かることです。それはともかく、自分より強力な魔物を呼び 出した後は、それと契約することを最優秀にします。あのファフニールのように、 始めから裏切ることを目的にしているものもいますから、余計に厄介です」 そういえば、どうして契約する気がないのに、呼びかけに応えたのだろうか。 …ただ単に、こちらに来たいのならば…そしてあれだけの力があるならば、い くらでも来る方法などありそうである。 「それを説明するには、まずアレが何者なのかを話す必要がありますね…」 再びクラッカーを口に運び、空いている方の手に持つグラスの酒をを煽ると、デ ルタは同じ酒を注文する。その隙にクラッカーを狙ったヴェルガーの手をグラス で叩いて牽制したデルタは、先を続けた。 「その昔…今からおよそ二百年前、才能ある魔術師がいたそうです。魔術だけ でなく、呪術、召喚術などにも長けたその術者は、やがて魔王と呼ばれるよう になりました」 突然の昔話。話の繋がりの見えないヴェルガーは、露骨に不満そうである。 「男の名は、アウグストゥス=シェヘラザード。闇属性を極めようと自ら闇を取り 込み、さらに属性守護者を飼い遣うようになりました」 「属性…守護者?」 初めて聞くその言葉に、イディアは首を傾げる。 「属性を制御している、強力な者たちのことを言います。自身の属性が強くなれ ば己で吸収し、他属性が強くなってバランスが崩れそうになれば、自属性に力 を与える役割を持っているのです。」 初めて聞くその知識に、イディアは興味津々の様子だ。 「吸収って…属性は私たちの周りに溢れているのに、どうやってそんなことを… 確かに、魔力で属性の力を集めることはできるけど、それだととてつもない力 が必要だわ」 「えぇ…でも原理はそれで合っていると思います。正解には、守護者が力を出し あって、属性を一つにまとめている…この方が、正しい解釈でしょうか、クロウ」 デルタの問いに、今度は答える声がない。どうしたのだろうと思っていると、デ ルタがあぁ、と声を洩らした。 「“真理”については、語れないんでしたね。…属性が生まれる場所がある、と いう説と、守護者により属性が一つにまとまっている、という説が主に学者が唱 えている属性理論ですが、それは守護者のみしか知り得ない“真理”のようで す」 世界を構成する元素にまで話が広がって、いよいよイディアの頭は混乱してい た。ヴェルガーに至っては、既に夢の世界だ。 そのことが分かっているのか、それはさておき、と彼は話を元に戻す。 「…あのファフニールも、守護者の一つというわけです」 「じゃあ、魔王が飼っていたというのは…その、ファフニール」 ファフニールに向かって、デルタが言っていたことを思い出した。 “……アウグストゥスの犬も、随分よく吠えるようになったものだ” 「ええ…どうやら、召喚して主従の永久契約を結ばせたようですが…大したも のですね、まったく」 呆れたように言いながら、彼は酒を一口含む。そのとき、イディアは低く笑う声 を聞いたような気がした。 「クロウも他人事ではなかったのでは?」 そう問う声は、なぜか不満そうである。…ということは、今の笑い声はクロウの ものか。…召喚獣は笑うのか。 「ファフニールは、アウグスの力を甘く見ていた…だから、彼の召喚に応えてこ の世界に現れた時…先ほどの貴女の声に応えた時と同じ目的でここに現れた とき、ファフニールはアウグスに負けた。たまたまそれがファフニールだっただけ のこと、クロウでも同じだったことでしょう」 クロウの笑い声はもはや聞こえない。痛いところを突かれたようである。妙に人 間臭いところのある召喚獣だと、イディアは思った。 ≫4 へ |
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