シリウス 番外エピソード2 「――黒爪、召喚」 4. 「アウグスの強さは、もはや無視できないほどに強力になっている。…ファフニー ルは彼の手足も同然ですから、守護者としての役割が放棄されています。この まま彼が力をつけ続けていけば、そのうちに属性の均衡が危うくなるでしょう」 力をつけ始めている、魔王。だが、属性の均衡が崩れるというのは少々大袈 裟ではないだろうか。 「確かに、守護者は複数いますから、直接何かを起こすには相当の時間が掛か るでしょうね。ただ、そういう事を図る存在があるという事実が問題なんです。… つまり、他属性が先手を打ってくるということです」 「ええと…他の属性の守護者が、力を強めてくるっていうこと?」 デルタは、黙って頷く。とてつもなくスケールの大きな話で想像に難かったが、 大変なことが起こりそうだということくらいは、イディアにも理解できた。 そうなったら、デルタも…もしかしたら自分たちも、戦うことになるのだろうか。 「普通の術者には関係のないことですよ」 他人事のように、彼はさらりと言う。なるほど、確かに守護者から見れば自分 たちなど力不足もいいところだろう。きっと足を引っ張るだけに違いない。 「――案ずるな、貴様も駆り出してやる」 クロウの声に、デルタは露骨に嫌な顔をする。 「私には…」 「関係ないと言うのか。“我々”と関わりを持つ貴様が」 クロウが“我々”という言葉を強調したように、イディアには聞こえた。 「…嫌な言い方をしますね、クロウ」 「事実であろう」 我々…の指す意味は、今までの会話の流れで考えれば、一つしかない。 「…何れにしても、まだ当分先の話です。生きているかも分かりませんね」 これ以上、話を続けたくないのか、デルタはそう言って話題を元に戻した。 「話が大分逸れましたが…ファフニールはアウグスの飼い犬も同然になってし まったので、自由に動くことができなくなりました。…もともと血の気の多い性 格で、よくこちらの世界に侵入しては人や獣を襲っていたそうですが、それも できなくなりました。どうやらアウグスは、機が熟すまで、ファフニールを暴れさ せて厄介ごとを起こしたくはないと考えているようですね。当然、ファフニール の外で暴れたいという欲求は溜まるばかり」 そんな折に、イディアは運悪くファフニールを呼んでしまったのだ。ああなっ たのも、もっともな話である。 「強力な魔物を召喚するときは、その魔物の強さや弱点だけでなく、どのような 背景があるのかまでを知っておく必要があるという、良い例になりましたね」 デルタの言葉に、イディアは深く頷いた。…そしてふと、思いつく。 「デルタさんが、クロウ…さんと契約する前に呼び出そうとした時は、どうやっ てクロウさんのことを調べたんですか?」 その問いに、再びどこからともなく低い笑い声が上がる。 デルタは、珍しく苦い顔をしている。何か不味いことを聞いてしまったのかと思 い、彼女は付け足す。 「…というか、先ほどの戦いでは、契約する瞬間がわからなかったというか…。 あ、あの後別れた時に契約したんですよね」 デルタの表情は、苦いままだ。やがて深い溜め息を吐くと、椅子の背もたれに 寄りかかって、答え始めた。 「…確かに、クロウとはあの後、契約を交わしました」 「じゃあ、あの後またクロウ…さんと戦ったんですか…すみません、何から何ま で、迷惑掛けてしまって…」 あれだけ戦った後に、この魔物と戦う…尋常な戦いではなかったはずだ。だ がクロウの笑い声が再び聞こえて、彼女は何事かとデルタの様子を伺った。 そして彼が答えようとする声を遮って、クロウが低い声で告げる。 「…この者は我と戦う必要などない。我が生け贄そのものなのだからな」 衝撃的なことを言われ、イディアは自分の耳を疑った。デルタはそのままの表 情で、召喚獣をたしなめる。 「余計なことを言うな、クロウ」 「何れ分かることだ。その者が、召喚術を求めるようになればな」 悪びれた様子がないようなクロウ…デルタは、やれやれと首を横に振った。 「契約の形には、様々なものがあるということです。悪魔が契約の対価に魂を 要求するのも、その一つ。力が強いものほど、貴重なもの、大切なものを要求 する傾向がありますね。…相手も、我々同様、生きていますから」 では、デルタは自らの命を契約のために渡したと言うのか。…自分の犯した過 ちで。だから言いたくなかったのか。 そう思ったイディアは、泣きそうな顔で彼に向かって頭を下げた。 「本当に申し訳ありませんっ!今からでも間に合うなら、私の命を代償に変えら れないでしょうか、デルタさん!」 突然の謝り出した彼女を、デルタは戸惑った様子で見つめる。頭を下げたまま の彼女の姿に、再び嘆息を洩らしてデルタは続けた。 「私とクロウの関係は、今に始まったことではありません。ですから、貴女が謝 る必要もない」 「…え?」 「クロウとの契約の印を、私は既に持っている…貴女と出会う、大分前から。詠唱 を思い出してみてください」 そう言われて、イディアは詠唱を思い返してみた。 ”我、汝の力求めるものなり。その暗き闇の懐より生まれし、猛き闇の力を我に 再び与えたまえ。契約の印のもと、汝に求める。来たれ、我が元に!我が声に 応えよ!” 「…あ!」 「契約の印を使って召喚するのは、既に召喚をし、契約を済ませてある召喚獣 にたいしてのみ…ですから、クロウとの契約は貴女のせいではないし、私は前 からクロウの生贄です」 安堵するイディアだったが、淡々と話す彼を見ていて素直にほっとすることが できなかった。再びグラスを進める彼に、イディアは躊躇いつつも聞いた。 「その…話せたら、でいいんですけれど…。どうして、デルタさんは…」 「クロウと契約したのか、ですか」 「…話したくないなら、もちろんいいんですっ、ごめんなさいっ」 やはり聞くべきじゃなかった…イディアは、好奇心のままに聞いてしまった自分 を恥じた。俯く彼女に、デルタは笑う。 「…ここまで話したら、同じですよ。後学のためになるかは分かりませんが、一 応話しておきましょうか」 再びグラスを置いて寄りかかる姿勢となったデルタは、だがもはやため息を洩 らすことはしなかった。 「…クロウとは、奇縁でしてね…初めて出遭ったのは私が子供の時。契約をした のは、再び邂逅した時でした。…クロウは私の仇でね、二度目に出遭ったときに 戦いを挑みましたが、あっさり負けました。そして…クロウに喰われた」 語る彼の表情が、段々と消えていくのがイディアには分かった。…当時のこと を、彼は思い出しているのかもしれなかった。 「気が付いた私に、クロウは契約を持ちかけた。私の…この身にある、光の元素 と引き換えの契約を」 そう言えば、クロウの声は聞こえてこない。クロウにとってもまた、触れられ たくないことだからだろうか。 それはそうと、食べられた後に気が付いた、というのはどうしてだろう。 「正直な話、私は死にたかった。…喰われたのなら、そのままで。だが、クロウ はそれを良しとしなかった。…あれだけ殺しておきながら、その主張はどうかと 思いましたが」 彼の話に、イディアは想像を巡らせる。…デルタが気安くクロウに話掛けてい たため実感がなかなか湧いてこなかったが、彼の台詞からするとやはり生易しい 生き物ではないようだ。仇…きっと、クロウは彼の大切な人を沢山殺したのだ。 …それも、子供の頃に。なのに、なぜ―― 「どうして、契約なんか…」 一つには、私には他に選択肢がなかったこと…クロウの巣に居ましたからね。 もう一つは…契約すれば、いつか自身が食いつくされる時が来ると思ったからです」 あまりに残酷な答えに、イディアは言葉を失う。デルタは苦笑しながらそんな 彼女に聞く。 「…呆れたでしょう」 「…い、いえ」 辛さのあまり、自暴自棄に走る。よく聞く…いや、よくあることだ。人は弱い。 そんな自分の無力さを感じ、どうにかしたいと奔走し、そして気が付く。結局のと ころそれは、自身の無力さをさらに知らしめることになるのだということに。 その絶望の後に味わう空虚…空っぽのはずのそれが、時に人を突き動かす原 動力と為りうる。…それを人は暴走と言い、その人をまた狂人と呼ぶ。 「…その思いは、今でも心のどこかにあるんですよ。だからなんでしょうね、先 ほどもクロウを喚ぶのに躊躇いはなかった」 自嘲気味に笑い、グラスを啜った。いつの間にか、氷は融けて消えていた。 「クロウと私は契約し、私は力を得た。この力を振るうことで心強い仲間も出来 ましたし、過去に果たせなかったことも、この力で遂げました。 ただ一つ…叶わ なかったことが、不服でしたが」 いつの間にか、彼の瞳に光が戻ってきていることに、イディアは気付いた。そ れで彼女は確信する。…もう、彼は望んでいない。己の死を。 魔物の中には時に、殺戮を好む存在がある。…クロウもそういった魔物だった のだろうか。 イディアはふと、そんなことに考えを巡らせた。仲間を殺したけれども、デル タだけは、何故か助けた。…きっと一度や二度だけではない。それが果たして、 血を好む存在の取る行動だろうか。 属性守護者としてのクロウ。…もしも、デルタの仲間を殺したことが、属性の 守護のためだとしたら―― いや、おそらくデルタもそのことに気が付いているのだ。だからこそ、彼はク ロウを呼べる。自らを死に導く存在としてではなく、信頼する召喚獣として。だか らこその…この表情なのだ。 「どうしました…?」 緩やかにそう聞かれて、イディアは少し満足そうに笑って答える。 「なんでもないですよ」 「…?変な人ですね。泣き出しそうになったり、笑ったり…。まあ、こんな私の話 でもお役に立てたのなら光栄です」 悪かったですね、とイディアは頬を膨らませる。むしろ、デルタの方が無表情 なだけではないのだろうか。 「さて…それではそろそろ私はお暇しますね。マスター、勘定をお願いします」 席を立つデルタを見つめながら、イディアは思う。 召喚術師になるということは、契約した相手の世界をも共有することになる。 それが、どれほど重いことなのか、想像もできない。 けれども… 自分もいつか、信頼できる召喚獣を持ちたい。 それができるだけの術士になりたい。 世界は、私の知るような小さなものではないはずだから。・・・その、果てを見る ために。 ――イディアさまなら、なれますよ・・・。きっと デルタが酒場を出て行くほんの少し前・・・イディアの横を過ぎる微かな声があ った。・・・それは、背中に透き通った羽根の生えた、小さな妖精だった。 そして出て行く時、こちらを振り返る彼の顔に、微かに笑みが浮かぶ。 その妖精は、デルタと共に酒場を出る。・・・それで全てが分かって、イディアはふ っと息を吐いた。 ・・・やはり、召喚師への道は遠いらしい。 デルタの侍らせていた風精の存在に気がつけなかった自分への反省のため、イ ディアは徹夜で、召喚術の本を読破したのだった。 ――― END ――― >後書きへ |
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