#8
ひとりで食事をするのは、久しぶりだった。ジェットと呼ばれていたときも、あの部屋でひと
りで済ませていたのだろうか。
勘定を済ませ、宿屋に戻る途中。
聞き覚えのある声が、路地の方で耳に入り、私は足を止めた。ひとりはブレイズ。もうひと
りは・・・
「貴方も、真の名を知っている化け物なの?」
「化け物・・・ですか。なぜ、そう思うんですか?」
あくまでも、冷静にそう問いただすブレイズ。
「だって・・・死なないんでしょ?それに、ガルフだって、絵にあった魔王の顔と同じなのよ
!?13年も経ってるのに・・・!」
近くの壁に寄りかかって、私はロットの叫び声を聞いていた。
「―――貴方は、真の名で呼ばれることの苦しみを、知っていますか?」
ややあって語るブレイズの声に、私は何か自嘲めいたものを感じた。
「どういう、意味よ?」
「真の名は、主から与えられし名。人はその名で呼ばれることで、主の支配から逃れるこ
とができる。―――だがそれは同時に、自らを苦しめることになるのです。」
「何なの、それは?」
「・・・さあ。・・・・・・魂が引き裂かれるような苦しみを味わうと聞いていますが、その苦し
みがどれ程のものなのかは、私には分かりません。私も真の名を、導く者として知る者で
すが、私の場合は神から与えられたので、そういった苦しみはありません。―――です
が」
「ガルフは、自分で真の名を読み解いたのね。」
「いいえ。彼の場合は、不幸にして彼の御両親が真の名を、彼の名としてしまったのです。
・・・本当に、偶然とは恐ろしいものです。」
「でも―――」
ロットは再び訪ねた。
「私たちがガルフのことをジェットって呼んでも、彼は別に苦しんでなかったわ。」
「―――彼は、一国の王ですよ。私の調べでは、ジェットは真の名で多くの人から呼ばれ
るの避けるために、城の一室に閉じ籠るようになってしまったようです。」
「だから、ポッシュたちは王の顔を見たことがなかったのね・・・。」
「ええ。彼は、運命から逃げていたのだと、私は始め思っていました。だが、あの日――
―」
少しの間を置いて、再びブレイズの声が聞こえた。
「アスベストを、彼は自分のもとまで導いた。それも、彼の逃避だと思っていたのですが
ね。アスベストに刺されて倒れた彼は、見下ろす私に言った。『未来は誰にも分からない。
だから面白いんだ』と。この意味が、貴方に分かりますか?」
「・・・私には、よくわからないわ。」
困惑したように言う彼女に、彼は苦笑して言った。
「それが普通です。―――これは、彼の意志なのです。運命に、逆らおうとする、彼なり
の意志の表れなんですよ。・・・彼は気付いていないかもしれませんが。あの言葉は、主
に従って人々を導いていた私の心に辛辣に響きましたよ。だから、私は彼に助言しようと
しているのです。その意志を、持ち続けるように。」
ブレイズの気配が遠ざかっていく。
「ですから、貴方ももう少し彼のことを考えてみてはいかがでしょう。」
「わ、私に指図するのっ?」
「どう捉えて頂いても、構いませんよ。」
それきり、二人の声は途切れた。
次の日―――
私はドアを叩く音で目を覚ました。
寝起きのままで出てみると、仁王立ちしたロットの顔が迫ってきた。
「―――なんだ、朝っぱらから。」
「なんだ・・・じゃないわよ!いつまで寝てるつもりよ、ガルフ!ブレイズが馬車で待ってる
わ。」
なるほど言われてみると、部屋には自分の荷物しか残っていなかった。
荷物を取りに戻る私に、彼女はおずおずとした口調で言った。
「昨日は、ごめん。」
私は言われるままに馬車に乗り、荷を下ろしてブレイズに聞いた。
「どこへ行くのだ?」
「首都、アスベストへ。アスベストがどのような状態にあるか、見たくありませんか?」
「どうなっているんだ?」
「それは、貴方の目で直接確かめてください。」
相変わらずな口調で流すブレイズ。私は何かが背筋を這い上るような、そんな心地悪い
ものを感じていた。
アスベストに向かう途中、馬車の中でうたた寝をしていた私は再び昔の夢を見た。その
夢は、馬車から降りた今もはっきりと思い出せる。
臣下達が、私に皆の前に出るように勧める。 窓から外を覗くと、黒山の人だかりが城の
周りにできていた。そして漏れてくる、人々の声。
「―――ジェット様!」
「ジェット様!お姿を!」
「ジェット様ー!」
自分の名を呼ぶ声を聞く度に、古傷をえぐられるような苦痛を感じた。
「ジェット様、国民達が待っています。」
「早くお言葉を―――。」
そう強制する臣下たちの顔が、だんだんと悪魔のように歪んだものに見えていく。
「―――無理だ。」
「お早く。」
気が付いてみると、窓は開けられていた。
自分を呼ぶ声が、前と後ろから迫っていた。
耳を塞ぎ、声から逃れようとすると、無理矢理腕を掴まれ強く引かれた。
自然と眉間に力が入った。
―――聞きたくない。
聞けば体が引き裂けそうだった。なぜこれほどまでに、私は苦しまなければならないの
だ・・・。
何が、悪いというのだ!
苦しむ度に、私は自分の運命を呪った。しかし、呪っただけでは何も変わらなかった。
この流れを、変えたいと思ったこともあった。だが・・・
私に何ができる。苦痛の前に伏すことしか、私にはできなかった。
「―――ジェット。」
脳裏に響いたのは、ブレイズの声。
目を開けてみると、御者台からこちらを見るブレイズがいた。
「あれが、アスベストですよ。」
荷台の窓から身を乗り出して、彼の指差す一点を見つめた。
遠目にも良く見える、大きな街だった。それは、以前のロワールの光景と大差ないだろう。
その光景と夢とが、私の頭の中で交錯した。
「―――アスベスト・・・」
そう呟いた私の言葉を、背で受けたブレイズはどう聞いただろう。
逃げることは簡単だ。
以前の私は、苦痛から・・・真の名の力から逃れようとしていた。
その代償の重さも考えられぬほどに。
―――私は、もう逃げない。
誓う私の目の前に、アスベストの城下があった。
―――
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