#4
ヤグリド―――
人がこの地を捨ててどのくらい経ったのだろう。
荒屋はもはや際限なく生い茂った緑に覆われ、原型を辛うじて留めているように見える。
木々に陽光は遮られ、陰鬱な色を醸し出している。
馬車の荷台を降りた私を迎えたのは、そんな場所だった。
村と言うにはほど遠いだろう。
そしてそこに着いたのは、何の因果か、陽が沈み始めた頃だった。
「・・・私、馬車の中で今日過ごします。」
「戯言を吐けとは言ってないはずだが。―――行くぞ。」
馬車から出てこようとしない三人を置いて、鞘代わりに布を巻いた剣を片手に、私は歩き
出した。
傾き、倒れかけている門を跨いで村に入ると、別世界にいるような感に捕われた。
それほど村は荒廃していた。人が足を踏み入れるのは、かなり久しぶりなのだろう。茂る
草に、私の足音は書き消された。
ふと前を見上げると、少しばかり他よりも大きな家が目の前にそびえていた。そこだけは
、緑に覆われていても扉が枯ちていなかった。まるで、誰かが住んでい
るかのように。
―――三人とも付いてくる様子はない。好奇心に任せて、私は家の中に侵入した。
キィ・・・
軋む音とともに扉は内側に開いていく。
窓はあるが、緑に覆われているせいか、それとも陽が沈みかけているせいか、中はとて
も暗かった。
中に数歩入ると、大方の予想通り、扉は勝手に閉まってしまった。
―――そうでなくては、面白くない。
自然と、唇が綻んだ。
目が慣れてきて、ようやく自分のいる部屋の様子がわかった。
だだっ広い、なにもない部屋。しかし妙なことに、床に埃は積もっていない。そして、もう
ひとつ―――
「隠し扉、か・・・」
床に、収納庫にしては大きすぎる扉があった。いや、正確に言うと取っ手は付いていな
い。
私は手前にしゃがんで、剣で軽く床を突いてみた。
パカァァ・・・
小さな音とともに、扉は後退していった。その先には、さらに暗い空間が下へと続いてい
た。
縁に手をついて降りてみても、足が底につかない。相当深いのだろう。ここで、ひとつの
誤算が生じた。
登ろうと手に力をかけると、掴んでいた板が崩れ、拍子に剣が落ちてしまった。
―――カラン。
少しして、剣が底にぶつかる音が耳に届く。そこまで深いわけではないらしい。
―――仕方ない。
私は床板を掴んでいた手を離した。下からの風を受けているせいで、目を開けてはいら
れなかった。
ガシャンッ!
何かが砕けるような音とともに、私は底に尻餅をつくような形で到達した。
予想はしていたが・・・非常に痛い。
いったいなにを踏んだのかと、腰を摩っていた手で辺りを探ってみると、妙に乾いた音が
した。
―――骨か?
「しかも、まだ新しい。なぜ・・・?」
傍らの剣を取り、立ち上がって辺りを見回してみる。
目が慣れてきたのか、随分遠くまで様子を伺うことができた。人骨を踏みしめながら、私
は何者かの気配を感じていた。とはいえここで剣を構えてみても仕方がない。気配のす
る方へ、私はゆっくりと歩みを進めた。
唐突に、私は開けた場所に出た。部屋、だろうか・・・しかしそこは薄暗く、とてもではない
が人の住めるような場所ではなかった。
しかも床には、何か細かいものが散乱していた。
「―――なんだ、ここは?」
部屋に侵入した私は、奇妙な感覚に捕われた。慣れない感覚に、足元がふらついた。地
面が下がるような、上がるような、そんな感覚だ。定まらない足元に意識を集中させてい
ると、突然、何かが空を切るような音がした。
背後に現れた気配を私は地を蹴って避けたが、着地した場所は運悪くがらくたの中だっ
た。バランスを崩し、手をついて気配の主を振り返った。
黒衣の男―――
無表情の中に、赤銅色の瞳が光っている。ばさばさとした黒髪は、生気のない白い男の
肌を引き立てていた。
「盗掘者か―――下衆が命を捨てに来たか。」
男は私を見て、そう吐き捨てた。・・・どうやら相手は経験済みのようだ。殺意を込めた眼
差しで、私を頭の上から爪先まで観察している。
「―――何者だ?」
「語ることは何もない!」
男は有無を言わさずに突っ込んできた。男の得物を弾き返し、そのまま後退した。
だが―――
「遅い。」
相手はここでの戦いになれているようだ。それに対して私は、上下に移動する重心と足
元を阻むがらくたに、動きが鈍くなっていた。相手の一撃を受け弾いて、再び後ろに下が
ったが、それまでだった。後ろが行き止まりだということに気付いた時にはすでに、男の
剣が突きつけられていた。
切っ先が、私の顎を持ち上げる。
そして男の瞳が見開かれたのは、次の瞬間のことだった。
「・・・なぜここにいる・・・・・・ジェット。」
―――ジェット。どこかで、聞いたことがある。
「・・・お前は、誰だ?」
「―――忘れたのか?13年前のことを。」
訝しむ私の耳に、第三者の声が聞こえたのはその時だった。
「ガルフ!どこにいるのよ!」
松明を片手に部屋にどかどかと踏み込んできたのは、言うまでもなくロットだった。
「―――ガルフ・・・きゃあ!?」
たたらを踏んで、ロットは部屋に入ってまもなく尻餅を突いていた。幸い松明は無事のよ
うである。
「そこにいるの・・・?あ、凄い財宝っ!」
彼女の足元には、無数の金色の光を放つものがあった。・・・先ほどから足を邪魔してい
たのは、どうやらがらくたではなかったようだ。
彼女の目は財宝に釘付けである。
気が付くと、目の前の男は標的をロットに変えていた。剣を構え、今にも突進していきそ
うな状態だった。
―――彼女はそのことに気付いてはいない。
・・・いや、先ほどの口調だと、彼女にこちらの様子は見えていない。間違いなく、男の得
物は彼女を餌食とする。
男が動いた。
「―――ロット!」
一瞬遅れて私も地を蹴り、剣で男の背後を一閃したが、かすりもしなかった。
間に合わない。
―――斬る!
そう強く思った殺那・・・・・・
男の背が真一文字に裂けた。それは確かに、今しがた自分が振るった剣の軌跡を描い
ていた。
「ぐっ・・・」
男の苦悶の声を聞き流しながら、私はロットに駆け寄った。
「―――ガルフ、何なのよ、今の!?」
「細かいことはあとだ。早くここを出た方がいい。」
「でも、こんなに凄い財宝があるのよ!今のうちに持って帰りましょうよ。」
足元の宝をあさる彼女の手を私は引いた。
「・・・ジェ・・・ット・・・」
男の声には殺意が混じっていた。
「ま、まだ生きてるの!?」
「こっちだ。急げ。」
傍らの松明を拾い、もと来た道をロットとともに駆けた。
隠し扉からは、一本の荒縄が垂れていた。
なかなか考える娘だ。
無事に屋敷の部屋にたどり着き、開かない屋敷の扉を蹴り破ってそとに出たときには、
既に真っ暗になっていた。そして―――
「なによ、こいつら・・・」
いつの間にか現れた累々と横たわる屍。それが、ゆっくりと動き始めていた。
この死体は・・・いったいなんだ?
その口と思われる部分から、微かに言葉が紡ぎ出された。
「・・・アス・・・ベ・・・スト・・・コ・ロ・セ・・・」
私もロットも、顔を見合わせた。
「どういうこと?」
「・・・さあな。それよりも早く馬車に戻った方が良さそうだ。」
屍を横に見ながら、私と彼女は馬車へ駆けた。
「なにがあったんですか?ガルフ様。」
「それがね、すっごいお宝のや山があったの!ガルフが早くしろっていうから、これしか
持って帰れなかったんだけど。それから、あいつも!」
彼女の意見に、私は溜め息を吐いて窓の外を眺めた。その私の背に、ティムのおずおず
とした声が当たった。
「何が・・・あったんでやすか?」
視線を外に向けたまま、私は言った。
「―――ジェットという名を聞いたことはないか?」
「・・・え?」
「そういえば、あいつもそんなこと言ってたわね。あんたたち、知らない?」
私と彼女の言葉に、御者台に座っていたポッシュとティムは顔を見合わせた。しばしの沈
黙が、馬車の中に漂った。馬の蹄の音と、車輪の音が耳に大きく聞こえた。
「それは・・・魔王の名前です。」
「―――何?」
「魔王、ジェット。他にその名前の人をあっしは知りやせん。」
―――気のせいか、こころの中にあった氷のようなものが、じわりと溶け出すような感じ
を覚えた。
「まさか。ガルフが魔王だなんて。」
「それもそうでやすね。・・・ところで、ヤグリドで会った“あいつ”というのは、どんなやつだ
ったんで?」
「―――んー、私はよく見てないんだけど・・・なんか不気味な奴だったわね。ガルフは見
たんでしょ?」
「ん・・・あぁ・・・」
あいまいな返事を返しながら、私は考えていた。
魔王ジェット。
その同じ名で、私は呼ばれた。
私は魔王だったのか。
それに、あの男は何者だったのか。
私は、何者なのか。
考えてみても、謎が深まるばかりで解けることはない。ロワールで見掛けた者のことも気
になった。
「・・・参ったな。」
私が、ここにいる。
ただ、それだけのことなのに。
深い嘆息とともに、私は眠りについた。
―――
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