#2
「今日も野宿だな・・・」
新しい服に着替えたあと、私はロワールのスラムで呟いた。
ティムとポッシュはすでに寝ていた。この機会にそっとロワールを出ていけば、この二人
に関わることはもう二度とないだろう。
そんなことを考えてみたが、何故か足が動かなかった。
「面白いやつらだな。・・・しばらく付き合わせてやるか。」
疲れのせいか、好奇心のせいか。
壁にもたれたまま、朝まで私はその場を離れなかった。
スラムの朝は以外に早かった。皆、陽が地平線から現れ始めると、それを合図にしたよ
うに動きだした。
「おはようございます、ガルフ様。」
「夕べはよく眠れやしたか?」
聞き覚えのない名前に、首を傾げながらも私は二人と挨拶を交わす。
「ガルフと言ったな?」
「はい、昨日の夜中ずっと二人で考えていたんです。」
「なかなかいい名前でやんしょ?」
自分よりも早く寝、しかも遅く起きたのにいつ考えていたんだろう・・・などと思ったが、あ
えてそれは口にせずとりあえず礼を言ってみる。
「そうか。―――いったいどういう意味なんだ?」
私の言葉に、ティムは胸を張って言った。
「へい、『深淵』って意味でさぁ。なかなか合ってるでやんしょ?」
その言葉をオウム返しに呟き、何か妙な感じを覚えた。
「お前達にしてはなかなかセンスのいい名前だな。」
そう言いながら支度をする私を見て、二人は喜びのためか笑っていた。
「朝のうちにここを出るからな。早く支度をしろ。」
二人を朝食の調達に出させると、私は昨日できた荷物の上に寄りかかりながら、一人考
えていた。
「深淵・・・」
そのありふれた言葉に、どことなく懐かしさを感じた。だが、なぜだ。
思い出せない。
これが、私の名前だったのだろうか。
「・・・ガルフ」
今度は名前を口に出してみる。
ふと、誰かの視線を感じて私は辺りを見回した。もちろん、片手に剣は忘れない。
そして私は、フードを目深に被った、見るからに怪しい姿を角に見つけた。覗く口許は、
微笑んでいるように見える。まるで、こちらの考えを読んでいるかのように。
風になびいた長い前髪の隙間から、わずかに相手の瞳が見えた。
その視線に、殺気のようなものを感じて、私はその場を飛び出した。
人影もまた私の動きに敏感に反応して、背を向けて駆けていく。
スラムを抜け、影は街に向かった。
「人通りが少ない方を選ぶとは・・・いったい何を考えている?」
まだ開けていない店の角を曲がったところで、私は目の前を歩いてきた女に勢いよくぶ
つかった。しかし、転がり痛がる女に背を向けて再び駆け出そうとした私の視野に、もは
や人影の姿はなかった。
舌打ちをしながら、服に付いた砂を叩き落として立ち上がると、眼前に仁王立ちした女が
いた。
「ちょっと、そっちからぶつかっておいて、ごめんなさいの一言もないわけ?」
やたらととげとげした口調で女は言ったが、それも無理のないことだ。ここは素直に誤っ
て立ち去るのがいいと思ったが、とあることに私は気が付いてしまった。
「これは、すまなかったな。」
「まったく、物騒なものさらして何やってるのかは知らないけど、これからは気を付けなさ
いよ。」
足早に立ち去ろうとする女の背に、私はまた声を掛けた。
「・・・ああ、お互い気を付けた方が良さそうだ。」
その言葉に、ぴくりと女の肩が振るえたのを見逃すほど、私の目は節穴ではない。
幸い、まだ日は出たばかりで人通りはほとんどない。
「返してもらおうか。今ならまだ間に合う。」
「な、何のことよ。」
「とぼけるな。」
口調に先ほどの勢いはない。静かに告げる私に、彼女は背を向けたまま黙っている。
「さて、どうしたものか・・・」
処分の方法を考え始めた私のところに、ちょうどティムとポッシュが駆けてきた。
「ガルフ様、どうしたんですか?」
「お前たちと同業のようだ。」
「・・・もしかして、財布泥棒でやんすか?」
見聞する二人を、女は睨みつけた。
「どうしたらいい、ポッシュ、ティム。」
とりあえず、二人に処分の方法を考えさせてみる。
「ちょ、ちょっと待って。ポッシュとティムですって!?貴方たち、まさか砂漠の蠍の・・・」
みるみるうちに、女の顔は青ざめていく。
「ほぅ・・・お前たちって結構有名人だったのな。」
感心して言う私に、女は一瞬呆れた眼差しを向けた。
「ま、それはおいておいて。ティム、こいつをどうしようか?」
「・・・ど、どうしようっていうのよ。」
面白そうだから、自分も二人と同じように微笑んでみる。
それにたいして、女は脅えた眼差しを向けた。
爪を剥き取るとか、馬に縛り付けて一日晒者にするなどといった案を出す二人に、もはや
女は無言だった。
「―――勘違いするな。俺たちがお前をどうするかは、お前の返事次第だ。お前が死に
たいならば、否と返事をすればいいだけだ。」
私がそう言うと、女は懐から昨日手にいれた自分の財布を差し出した。
「これ、返すわ。こ、これでいいんでしょう?」
「素直で結構。」
逃げ出そうとする女を引き留めようとしたポッシュを、私は制した。
「返すものは返してもらった。俺たちがこの女を拘束する必要はない。」
「で、でも親方―――」
食い下がるティムを無視して、私はロワールの街を出た。慌ててその後を二人が付いて
くる。
「ガルフ様、荷物はどうしたんでやんすか?」
ティムに言われて私は、スラムに荷物を置いてきたことに気が付いたが、離れてから大
分経っている。まだあの場所に荷物があるとも思えなかった。
「スラムの連中に寄付してやった。そんなことより、ここからはどの街が一番近い?」
訪ねる私に、二人はほぼ同時に溜め息を吐いた。
「ここから三日ほど歩いたところに、ヤグリドという村があります。ですが、その村を生きて
出たものはいません。」
「・・・どういう意味だ?」
問う私に今度はティムが答える。
「あの村は、皆近付こうとしないんですよ。なんでも、亡霊がいるとかで。皆通りすぎて次
の街へ行くんでさぁ。」
「・・・ほぅ。」
「次の街へは更に徒歩だと5日かかるので、皆は馬車を使うんです。」
「―――そしてその馬車がない、と言いたいわけだな。」
いらずらっぽい顔で、私は二人を眺めた。その私の顔を見て、二人は露骨に嫌な顔をし
た。
「まさか、ガルフ様・・・」
「ヤグリドに行ってみようとかいうんじや・・・」
「―――嫌なら付いてこなくていい。苦労をかけたな。」
二人に背を向けて、再び私は歩き出した。そんな私を、ポッシュは呼び止めた。
「・・・ガルフ様。」
無言で振り返る私に、彼は気まずそうに続けた。
「道、逆です。」
―――
#3へ